テレビで「辛口」とか「辛辣」とか言われてなおかつテレビに出続けている人にはあるわかっていることがあります。
それは「辛口」とか「辛辣」とか言っても、NGラインは絶対こえないということです。
森永さんのような方はそこが「明文化」されていない事が不満なのだと思うのです。
ただそこの「明文化」はほぼ不可能です。
日々刻々と変わるものですし、項目数は軽く千をこえると私は考えているからです。
なかかつ「この番組は全国ネットで視聴率はこれくらいで、こういうそうの人が見ているよね」とか「この番組は関東ローカルの深夜だからコレくらいはいける」とか「ラジオの深夜か。ユーチューブがあるからちょっとわからないけれども、まあここまで」とか「雑誌ね。この雑誌ならここまで書ける」とかいう「明確な」ラインがあるのです。
そのラインをこえた人には各メディアは近寄りません。
そのラインの中での「辛口」であるとか「辛辣」なのです。
森永さんは、こういう事には不満だと思います。
でも私は森永卓郎さんの意見を聞きたいのですが、出番が減っていますよね。
それでは私がいくら森永さんの意見を聞きたいと思っても聞けないではないですか。
それでは森永さんも私も困るのです。
ですから、その「明文化」されていないラインを了解してください。
そのラインぎりぎりでせめてください。
一方批判も多いのですが、池上さんの出番は多くなっていますよね。
森永さんのお考えにいくら正当性があっても、世間に広く流通しなくては意味が薄いということを言いたいのです。
また長年私はテレビのコメンテーターなる存在は一体なんなのだろうと思っていました。
私には笑えないお二人なのですが、デーブ・スペクターさんが橋下徹さんに言っているそうなのです。
確か7秒だったと思います。
7秒以内にコメントをまとめるのがコメンテーターなのだそうです。
だからコンテンツ(内容)よりも「7秒でまとめる」ことに意味があるらしいのです。
そうなると私にもコメンテーターの存在はわかりはします。
司会者は基本無茶ぶりしかしません。
だいたいすべての領域に対してコメントすることなどもとより不可能なことなのですから。
ただそれなり(と言っては失礼なのですが)のことを7秒でまとめるということなら可能なのかもしれません。
私は専門的な意見が知りたいので、そういう方がからんでいる番組は観もしないのですが。
森永卓郎さんの出番が少なくなっているのはどうやらこういうことらしいです。
ライザップのCMもよいのですが、森永さんは経済アナリストですから、経済をアナライズしてください。
ひろく一般に向けて。