世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

伊丹十三監督「たんぽぽ」に学ぶ 愛想さえもムダな場合がある

毎朝ある店で私はたいてい買い物をします。

 

できるオバチャンがたいていレジをやっています。

 

レジくらい誰にもできるとあなたは思うのかもしれません。

 

ご自身がレジを打っている場合にさえ。

 

でもそうではないのです。

 

「客」として複数のレジがある店(たとえばコンビニでも)「この人のレジはイヤだ」と思っている場合があります。

 

「この人にレジを打ってほしいな」と思ってならんで店が忙しい時に、そのレジが混んでいるので「イヤなひとのレジ」を勧められる場合があります。

 

客としてイヤなので「しまった」と思いながら「イヤな人のレジ」に行くことがあります。

 

できるオバチャンはそんなに愛想が言い訳ではありません。

 

朝は忙しいのでムダな愛想はふりまかないのです。

 

もちろんぶっきらぼうでもありません。

 

そのおばちゃんの愛想は必要最低限で、とても好ましいものです。

 

同じ店に、とてもうれしそうに1万円からおつりを数えるひとがいます。

 

迷惑です。

 

「一緒に数えてください。5、6、7、8、9千円先にお返しします」とかをとてもうれしそうにしているのです。

 

その人の愛想はムダが多すぎるのです。

 

ある時にコンビニで買い物をした事があります。

 

その時にタバコをカートン買いしました。

 

カートンというのは10個の事で、タバコは10個一まとめでパッケージになっているものなのです。

 

私がならんだレジの若い男性は喫煙者でもなかったのでしょうし、そういう事がわかっていませんでした。

 

だから普通にタバコがならんでいるところから10個のタバコを取ろうとしました。

 

私は最初1カートンといったのですが、彼はあまりわかっていないようだったので「10個です」と言い直したからです。

 

そして彼がそういう事をし始めたので、私は「別のところにあると思いますよ」と言いました。

 

彼はレジ内のいろいろな扉を開け始めたのですがカートンで置いてある場所をなかなか見つけることが出来ません。

 

先輩らしい若い男性がある扉をいきなりガバっと開けて、店も混んでいましたし自分の仕事に戻りました。

 

その先輩の行動は乱暴だったのかもしれません。

 

でも私には好ましく見えました。

 

そしてレジで戸惑っている若い男性もやはり好ましかったのです。

 

二人ともムダがないからです。

 

映画「たんぽぽ」はつぶれかけたラーメン店を立て直すというストーリーです。

 

店主の女性とラーメン通の男性がいろいろなラーメン店に行って、「この店はどうで」という場面があります。

 

ある有名店はダメなのです、理由は店員さん達の動きに「ムダが多いから」です。

 

愛想や愛嬌でもムダな愛想やムダや愛嬌があります。

 

あれは迷惑なものです。

 

本当に迷惑なのです。

 

ご本人はマジメにやっていらっしゃいます。

 

だけれどもムダに愛想や愛嬌をふりまかないでください。

 

私には不愉快でしかありませんから。