あなたも、そういう風にした方がいいです。
日本は法治国家ですから、「法律」は守りましょう。
でも、「この組織だとこういうルールでやらないといけないんだよね」とか。
「このひとの立場上こういうルールを押し付けてくるし、それがわかるからそういうルールでやるしかないよね」とか。
「このひとのなかではこういうことがルールになっているらしいんで、コッチがそれにあわせなきゃいけないんでしょう」とか。
あれ苦しいでしょ。
今書いたことがわからないひとは、そういうことを考えるようにしましょう。
もうね、そういう相手の「ルール」にあわせるのに私は疲れ果てたし、完璧に「飽きました」。
もうそれは絶対したくないです。
今の話が分かるひとにだけいうんですよ。
もういいですよ。
もうあれはやめましょう。
それを昔からの日本語の言い回しで「相手の土俵に立つ」と言います。
向こうの土俵は尊重しましょう。
けどね、そもそも「土俵」が違うから。
「たっている土俵が違う」んですよ。
あなたにも、当然あなたの「土俵」があります。
誰にだって実はあるんですよ。
だから「お互いの土俵が違いますよね」で終わっていいことだと私は思うんです。
もし可能なら、お互いの土俵を出て、「話し合う」とかでもいいです。
私には私の「土俵」があるので、私もあなたの「土俵」は尊重しますし、それ同様にあなたも私の「土俵」を尊重してください、そしてお互いの「土俵」が違うということを前提にしてお付き合いしましょう。
こっちの「土俵」を無視するとかは、もうやめてください。
あなたも一応大人なわけでしょ。
あなたの立場(「土俵」)があるからと思って、コッチは長年それにあわせる努力を死ぬほどして来て疲れ果てているんですよ。
そうですよね、今読んでいるあなたも。
だから私はホントにもうそういうことはしたくないんですよ。
せめてね、「土俵」が違うくらいの認識はもってください。
何回も何回も同じことを聞いて、「このひとはたくさんのひとの相手をしているから、忘れることもあるんだろうな」とは思うし、それはそうでしょう。
でも、今のケースでいえばコッチは何回も同じ話を聞かされて「それはこうします」とか言ってるわけです。
(初めて聞いたふりをして)「それはこうします」とかいうしかないと思うから、そうしているだけで、何回も同じことを言わざるを得ないのなら、「書いたら」どうですか。
「これはこのひとに言った」とかわかるように。
であるとか、「自分が言っている内容が伝わったのかどうか確信が持てないときにもわかりやすく書いて、その紙を渡せばいいんじゃないですか」。
私が言っていることはおかしいですか。
業務上そういうことを、少なくとも私はしていますよ。
本当に不愉快なんです。
もう飽きたんです。
死ぬほどやってきたからです。
もし、あなたはこういうことに気がついていなのなら気をつけましょうね。
でもあなたはこういうことを死ぬほどやってきたでしょ。
もうお互いにコレはやめましょう。
イヤでしょ。
普通にそういうことを押し付ける連中には年齢性別を問わず消えてほしいわ。