私らみたいなもんが「無料」でひそかに動いています。
「無料」なのには理由があります。
「金を取ると客を選べないから」です。
それが「クライアント」でも同様です。
店員歴が長いので、「店は客を選べない」でしょ。
あれが「苦しい」わけです。
常連さんが機嫌よく帰った後に「あの人、もう来ないでくれないかな」とか、それ以上は言わないのですが。
そういうことを言ってたりするのです。
まあ「待ちます」よ。
センサーを張り巡らせて「待つ」のです。
顔にも出さないし、言いもしません。
ひたすら「待ち」ます。
もちろん、申し訳ないのですが、気にいったひとだけです。
そこが店員歴が長い人だからで、「客」が選べないからイヤな思いをした人ならではです。
「待ち」ます。
あるひとが例えば「うらんで」いるとします。
そのひとに「うらむな」とはいいません。
ある種のコミュニケーションをとりながら「まつ」のです。
2年くらいたって、「なんかいいかな」というポイントが来ます。
そのポイントで「こういうところがあるんだど行ってみたら」と言います。
その2年でそのひとのなかで「このひとはちょっと・・・」みたいなものが生まれているのです。
そして自分がそういう「存在」になった後に、「このひとが勧める、そういう場所ってどういうところなのかな」と思ってもらうのです。
そして、そのひとがそういう場所に行くでしょ。
イヤなこともあるのだけれども、楽しいこともあるじゃないですか。
そのひとが「なんかこういうのって楽しいな」とか「感じる」でしょ。
だんだん、そういう「楽しさ」や「うらしさ」を大事にしだすでしょ。
いつのまにか「うらんで」いたステージから別のステージに、そのひとが行きます。
そうしたら、そのひとは基本「卒業した」ことになります。
また別のひとがそのひとの周囲にあらわれて、そのひとはそういうひとと関わっていくのでしょう。
これを「職業的にする腕」はおそらく私にはあります。
でも「客」や「クライアント」を選べないのはイヤで、これは本当にイヤだから、「無料」なのです。
私が良いひとだからではありません。