世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

あなた失礼ですけれども「負け続け」でしょ 「多様性を認める社会へ」

私もおかしい、おかしいと長年考えていたんです。

 

なにをどうやっても「負ける」のです。

 

「負け続ける」のです。

 

ああだ、こうだ考えて、いろいろ努力をするのですが、どうしても「負け続ける」のです。

 

私はギャンブルには興味がないのですが、もしそのギャンブルでイカサマが行われれていて、あなたはカモにされているのなら勝つはずがありません。

 

私がなにをどうやっても「勝てなかった」のはイカサマのせいではありません。

 

私が「勝つ」とか「負ける」とか書いているということは、それはある種の勝負事だとういうことです。

 

ここを賭博場だと考えてみてください。

 

あるひとが100%勝つのが賭博場です。

 

誰が勝つのでしょうか。

 

それはゲームセンターであっても同様です。

 

「オーナー」でしょ。

 

「オーナー」だけは「勝ち続ける」し、「オーナー」が「勝ち続けない」とその賭博場やゲームセンターは続かないじゃないですか。

 

日本社会の「オーナー」が誰なのかは私には不明です。

 

ただ私や、あなたのように「負け続ける」ひとがいるということはどこかに「勝ち続けて」いるひとがいるということでしょ。

 

会ったことはありませんが、そうです。

 

何処かに「勝ち続けている」ひとがいるから、私もあなたも「負け続ける」のです。

 

ですから私も何らかの形で「オーナー」になります。

 

それ以外に「勝つ」方法はないようですから。

 

この文章のタイトルに「多様性を認める社会へ」とあるのはきれいごとではありません。

 

「みんなが平等に勝ったり、負けたりするような社会」にしてゆきましょうということです。

 

今も問題なのですが、「学歴」の問題がありますよね。

 

私には「学歴偏重」(学歴があれば、そのひとはそれだけでいい身分になれる)という言葉が長年ピンと来ていませんでした。

 

私は地方大中退ですが、友達には東京大学にすすんだひともいますし、お茶の水にすすんだひともいて、そういう人たちが必ずしも立派ではないという事実を知っていたからです。

 

また「いい大学を出てもダメだったひとも知っている」のです。

 

そういう私には「学歴はそんなに重要じゃない」としか思えないのです。

 

もちろん「いい大学を出て、なおかつ立派なかたも」知っています。

 

でもそのひとを私が「立派だな」と思うのは「そのひとが良い大学を出たから」ではありません。

 

「そこに気がつく」のはさすがだなとか「そういうことが重要なんだと親御さんから教えられているんだ」ということがポイント(重要点)なのです。

 

学校で円を二つ書いて、重なっている図を教科書でみたと思います。

 

プログラムをちょっとやったひとならわかるのですが、andやorがあるでしょ。

 

andっていうのはAの円とBの円がかさなっている部分です。

 

orっていうのはAの円とBの円の両方を含んだ部分ですよね。

 

「いい大学を出て、なおかつ立派なかた」は「いい大学」と「立派なかた」のandです。

 

少数です。

 

学歴に100%に信ぴょう性はありません。

 

ただandのひとがいることはいます、一部に。

 

ただ、そういう人たちの共通項は「学歴の話を基本しないこと」です。

 

例外はあります。

 

ある職場で「ウチは(私が中退した)大学多いですよ」という話になったのですが、そこは一般的にみれば地位が低い職場です。

 

最近の言葉でいえば起業しているひとたちですがが、「カッコよさ」や「オシャレさ」とは無縁の世界です。

 

そういうところでなら、「学歴の話」も「存在」するんです。

 

わかりませんが「俺たちなんか泥にまみれなきゃいけない気がする」という感覚を、その人たちはもっていた気がします。

 

そういう人たちが起業を勧めることはないと思いますし。

 

その方は私のPCの師匠なのですが、お互い高ストレスで働いていました。

 

その方は事務所みたいなものを開いていたと思います。

 

最近お目にかかっていません。失礼しています。

 

私があまりの高ストレスで胃かいようを発病し、自然治癒した後に、そのかたもあまりの高ストレスで胃かいようを発病したのです。

 

その方も気軽に「起業」は勧めないと思うのです。

 

「学歴」だとか「起業」だとか、いままで書いていませんが、「お金持ち」だとかは確実に「価値」があります。

 

でも、そのほかに「価値」があるものはないのでしょうか。

 

この場合の「価値」には「それで食べていける」という意味を含まれています。

 

「芸能人」はそういう意味でか「価値」をもっていますよね。

 

プロアスリートもそうです。

 

でもオリンピアンになると、これが微妙になってきますよね。

 

基本コーチであるとか、そういう方向にはいくのでしょうが。

 

オリンピアンは基本アマチュアなわけですから。

 

ある種の政府や地方自治体の仕事に「仕事を作る」というものがあります。

 

一言でいえば「公共事業」です。

 

これを行わない政府は基本ないと私は思うのです。

 

私自身日雇いに行って助かった経験があります。

 

ある友人は、交通誘導で真っ黒に日焼けして助かっています。

 

日雇いは日払いなのでとても助かりました。

 

私には知識も技術もなんもない状況で「体だけあればいいです。来てください」というのが日雇いですから、あれは助かります。

 

あれはあれで続けてもらわないと困るのです。

 

交通誘導員も必要です。

 

でも、そこは残しておいて、それとは別に政府は仕事は仕事を作った方がいいです。

 

ある時にこのフレーズを言って、自分で笑ったことがあるのですよ。

 

これって「顧客のニーズ」です。

 

今更「顧客のニーズ」じゃないよね、と思って笑ったのですが。

 

例えば長距離のトラックドライバーの方がいます。

 

私も迷惑したのですが、違法無線をやっているかたが結構いたのです。

 

違法無線をやっているトラックが家のそばを通るとラジオの音が乱れるのです。

 

長距離のトラックドライバーのかたが違法無線をやるのには理由があります。

 

孤独だからです。

 

一人で何時間も運転するのですよ。

 

ここには「顧客のニーズ」があります。

 

それを異性がやると問題ですが、長距離のトラックドライバーの方の話し相手なら大抵のひとができるはずです。

 

それをたとえば「公共事業」としてやるんですよ。

 

そういう「職種」はそうとうあるはずです。

 

あるでしょう。

 

ありますよね。

 

それを政府がやってくれれば、それは「多様性を認める社会へ」移行したということじゃないんでしょうか。

 

もっとハッキリ書きましょう。

 

「君たちは異様に訳がわからないよね。君たちにあまりの訳のわからなさ加減がオジサンにはおもしろいんだけれども、君たちは下手すると犯罪者になりかねないよね」という人たち(それはつまり昔の私たちのようなものです)を国が「飼う」のです。

 

そういうラインにいる人たちを国が「飼え」ば、彼らは「安全」な存在になります。

 

「安定する」というか。

 

アニメとか演劇とか音楽とかスポーツとかオジサンたちには意味が分からないんだけれども、異常に詳しいし。コミュニケーションとか結構怪しいんだけれども。私たちにはわからないんだけれども、面白いのは面白いし、でも危なっかしといえば危なかったしなあという人たちを「公共事業で雇う」のです。

 

そうすると日本社会は安定します。

 

しかもITオタクならば「サイバーテロ」が起きたときに、なみのエンンジニアでは勝てないくらいの力を発揮するのです。

 

私はそこそこレベルのオタクでしかありません。

 

でも熊本地震が起きたときにネットでネタを拾って地元放送局におくったり、「水がない」とおもったら、熊本市のウェブを観て、「今水はどうなっている」とか友人に拡散したり、「避難所を探している」という友人から連絡が来て、(女性だったのですが)彼女にラインで避難所情報を送ったりしていたし。

 

そういうひちたちが「危機管理」の上で効果を果たすのです。

 

これはラジオで拾ったのですが、「東京防災」という友人に電子書籍を勧めまくったりもしましたし。

 

電子書籍ですからスマートフォンがあれば読めるのです。

 

まず比較的安定した状況での危機管理に効果的です。

 

そういう人たちには申し訳ないのですが(かつての私だということで書きます)「犯罪者予備軍」に近い存在だという要素もあるから、彼らを国が「飼えば」、彼らを抑えることができます。

 

また熊本地震のような「危機的状況」が起きたときに普段「あなたダイジョブですか」といわれるようなひとが役に立ちます。

 

「多様性を認める社会へ」ってこういうことでしょ。

 

こういう話の流れで持ち出すのはとても失礼です。

 

それはわかっていますが、書きます。

 

LGBTの問題があって、私には言及不可能です。

 

でも行ったことはありませんが、新宿二丁目ってそういうひとたちの「聖地」ですよね。

 

あそこに「公営店」をたとえば作るのです。

 

別にLGBTの方は犯罪者予備軍ではありません。

 

ただ国として、新宿二丁目のような「観光スポット」を見過ごすのは「お金を稼ぐセンス」や「ブランディングのセンス」の上であまりに問題があります。

 

新宿二丁目を国際的な、しかも安全なLGBTのかたの「聖地」にすることが、この国にとってプラスでしかありえないからです。

 

カジノ法案に別に私は反対ではありません。

 

あるいは国際的な問題が当然存在しますし、おそらく外務省はやっています。

 

北朝鮮」に何かあったときに対応できるひとの養成や、「IS」に何かあったときに対応できるひとの養成、トランプさんが大統領になった時に対応できるひとの養成です。

 

国立大学の先生をやってもらっていても良いんじゃないでしょうか。

 

多様性ってそういうことでしょ。

 

ただ申し訳ないのですが、ずれているとしか申し上げることができません。

 

そういうことを見過ごしておいて、しつこいのですが、タバコ税を上げるという発想にしかいかないのか国家の損失だということです。

 

観てないのですが、映画「シン・ゴジラ」も「あなた大丈夫ですか」というひとが役にたったという設定なんでしょ。

 

そんな2016年だったわけですよ。

 

わかりずらい話じゃないはずです。