前にも書いたのですが、私は生長の家の誌友で、浄土真宗の信徒です。
たぶん本流は浄土真宗のほうです。
すごくいいのでしょう。
ただ難しいですし、具体的に「こういうときにはこうしたほうが」みたいな部分は薄いです。
傍流という(私のなかでです)こともないのですが、生長の家の教えや先輩や長老からのアドバイスは「具体的」です。
私が個人的にこういうことがあってという話をある長老にしたときに「いやね、ウチも実はこういうことがあって」といってもらいました。
ずいぶん年長のかたなのですが、そういうひどく内輪というか、「ちょっとこれは普通いえないよね」という話をするのが生長の家のほうですね。
そのことの解釈はなんともいえないのですが、生長の家で「宣言」をしなさいというのですよ。
私はそれがなんかイヤで、恥ずかしいですし。
それって宣言することで叶うことがあるからみたいなことですよ。
「言霊信仰」ってういうか。
でも私はなんかイヤなわけです、「宣言」をするのが。
でもあれは50歳の時だったと思うのですが、生長の家の女友達に、自覚なく私は「宣言」していました。
私はそういうことをいうひとではないのに。
私はそのときに「人生が変わると思う」と言っているのです。
そんなことは普段の私は恥ずかしくていえないのですが、あの時はなんかメールでだったのかな、言ったか書いたかしたなあ。
そんなわけのわからないことを言われた女友達の対応が素晴らしかったのです。
「わかったわ。それじゃあなたの人生が変わってから連絡してちょうだい」という対応だったのです。
「人生が変わるまで私に連絡すんな」ということではあります。
でも彼女のこの対応は素晴らしいでしょう。
この対応がベストです。
それで林さんなのですが、あの本でメィデアへの露出が始まったのだと思うのですが。
「ルンルンを勝手おうちに帰ろう」です。
訳のわからないタイトルなのですが、辛口エッセイみたいなものなのかな。
このタイトルに当時の私は違和感があったのです。
「ルンルン買っておうちに帰ろう」でいいじゃないか、なんで「ルンルン『を』買っておうち帰ろう」にするんだろう、このひとって。
これは林さんはコピーライターだったから、こういう言語センスがどうしても必要だったのでしょう。
フックというかひっかる部分をあえてつくることは歌詞でもコピーでも重要なんです。
ずっと後になってそのことには気がつきました。
あるバンドのスマッシュヒットしか歌詞を読んでいた時のことです。
「この歌詞はすごくいいし、本当に良いとしかいえないんだけれども、なんか流れるっていうかひっかかるところがないから、そこが惜しいんだよね」とか偉そうなことを考えていたのです。
わかりやすい例がつんくさんです。
あのひとの歌詞に「めっちゃ」とか「超」とか出てくるでしょ。
あれはダサいんですが、あそこがフックっていうかひっかかるところですよ。
これは私の想像どころか「妄想」ですよ。
「ルンルン買っておうちに帰ろう」だと流れちゃうな、なんかフックというか、ひっかるところをつくらないとと林さんが考えて「ルンルン『を』買っておうち帰ろう」にしたと、ある時期以降私は考えています。
そして林さんのメディアへの露出が始まり、書き手としても売れっ子になってゆくのですが。
「敵だらけ」でした。
「悪口言われたい放題」でした。
そうでしたよね、林さん。
余計な話なのですが、今はネット社会ですが、80年代にはもうその予兆があったのです。
当時「雑誌」が全盛でした。
正直いってよくわからない雑誌で著名人の悪口が普通に掲載されていましたから。
「雑誌」も行き詰まってゆくのですが。
そして林さんの若い編集者さんへの態度にはある種の「見識」のようなものがあったと思うのです。
簡単にいうと「偉そうにさせている」のです。
林さんが当時書いていたと思うのですが、「私はしょせん虚業なんだけれども、この人たちはもっとまっとうに働いているひとたちだから」私と違うことが前提だったのしょう。
最近デビ夫人が若い女優さんなのか何なのかしりませんが、その方の発言に激怒していました。
私はデビ夫人に共感します。
音声さんとか照明さんがいるでしょ。
そういう仕事は必要ですよね。
でも音声さんとか照明さんの仕事は地味です。
私はそのひとが何者なのか知らないのですが、そういう仕事や、そういう仕事をなさっている方への「敬意」も「配慮」もゼロの発言だったからです。
これは誰かいっていたのかを忘れているのですが、「職業には貴賤はないが、職業のなかには貴賤がある」という言葉があります。
どういう仕事であれ、それは尊敬にたるものではあるが、その仕事をしているひとのなかで「優秀なひと」や「尊敬すべきひと」もいるのだけれども、「侮蔑しかできないひと」も「共感できないひと」もいるということです。
林さんの「自分はしょせん虚業だから」という認識や、だから若い編集者には偉そうにしてもらうというふるまいには「見識」があるでしょ。
林さんは「物書き」として卑しくなくて、尊いということだと私はみています。
ほかの仕事をしているひと、特に自分を盛り立ててくれる仕事をしているひとには「敬意」や「配慮」があるのが当然です。
そういう「敬意」や「配慮」はどんな立場であろうと必要なことです。
そういう「敬意」や「配慮」がもてる、そしてその「敬意」や「配慮」はいろいろなことがわかっているからこそ持てるのです。
そこがわかっていれば「見識」があるということですし、わかっていなければ「見識」がないです。
今から考えても林さんには「見識」があったのでしょう。
「新明解さん」に聞くのです。(つまり新明解国語辞典第二版をひきます)
「見識 物事の成行きや本質をほかより先に見抜く、すぐれた判断力、意見」とあります。
「本質」ですよ。
ある状況であなたがちやほやされている場合に、その場所で地味なんだけれも重要な仕事をなさっている方がいたるするでしょ。
そういう状況の「本質」がみえていれば、そういう仕事をしている方への「配慮」であるとか「敬意」が必要だとういうことも「みえる」じゃないですか。
そこがわかってこその「配慮」ですし、「敬意」なんですよ。
ただ若い時はそれがわからないので、先輩から「ああいうひとは本当に大事なみなさんで、偉いひとはどうでもいいから、ああいうひとを大事にしろ」とか言われてるんですよ。
自分が年を取ると、そういう言い方にしかならないなと痛感しています。
こういうことがわかってないで、たとえば商売をすると結構失敗するんですよ。
若い時に「見識」がないことは普通だから振る舞い方を教えてもらっていないと厳しいと思うな。
私も若い時はわかっていませんでした。
私はそういう風にしろともいわれた記憶はありませんが、地味に働きながらわかってきた(つまり見えてきた)のかなあ。
「こんな店つぶれろ」とか思いながら、その店で働いていた時期もあったし。
これは謎なのですが、「あなた結構人生経験を積んでいますよね。なのにコレがわかないんですか」というひとがいます。
これは私の妄想なんですが、そういうひとには「おまかせ感」があります。
「自分はコレをします。ココをします。ココ以外はほかのひとがするのが当然ですよね」という「感じ」がが私のいう「おまかせ感」です。
それでいいだと思います。
事実「コレをココを」すればいいのだから。
ここはうまく言えないのですが、繰り返し書きますが、「自分はコレをします。ココをします。ココ以外はほかのひとがするのが当然ですよね」という「感じ」、つまり「おまかせ感」にはどこか間違いがひそんでいます。
それは間違いなのです。
そうでしょ、これは間違いですよね。
でも、この間違いって説明がとても難しくて、そのひとに好意をもっていたとして、このままではこのひとは伸びないと思っている場合でも「伝えることがほぼ不可能」でしょ。
「おまかせ感」をもっていると、いくら「力」があるひとでも伸びないですよ。
でも本人に伝えらなれないのが最高にもどかしいんですよ。
私も私の同世代で「おまかせ感」の反対の感覚で仕事をしているひとがいるでしょ。
コッチはコッチで大問題ですから。
ある時に同世代のひととネット上でやり取りをしている場面です。
私が書いたんですよ。
「あるときにコースアウトしたからよかったんですが、あのまま行ってたら過労死していましたね。それも自分で喜んで過労死してたなあ。自分も周囲も過労死だって気がつかなかったと思います」と。
その方は「あれは国家がらみの洗脳なんで、そんなもんでですよ」とか書いていました。
余計な話が続くのですが、ある本を読んで、読んだ後ですよ、私はあることに驚いていたんです。
ある事とは「自分の体が動かなくなったこと」です。
その本はちょっとマニアックな本で、ビジネス書です。
その本には詳細に、「あなたがやっていることを書き出してみますね」という部分があったのです。
やっていることを詳細に書いてあるのですが、そのやっていることが100個以上になるのです。
その本を読み終わってからだが動かなくなったのは、「あんなに苦しかったのは普通に100個以上ことをしていたからだ」と納得したからです。
だから私はもうそういうことはしませんし、「おまかせ感」の逆をやってきたひともボチボチやめたほうが良いです。
本当に苦しいでしょ、アレ。
「おまかせ感」をもっているひとは、そういうひとがこの文章を読んでいるとしたら、「違うかも」くらいは思っていてください。
その「違うかも」というフックやひっかかりがあなたにとっては重要である可能性があるからです。
林さんは先輩の女性からの評価が早かったと記憶しています。
「私や中沢けいは(中沢さんすいません、中島さんはそう書いていたのです)しょせんワーワーキャーキャーいうだけの存在(そこではある70年代アイドルの名前が書いてありました)なのだけれども、林真理子さんは山口百恵だから、そもそも違う」
みたいなことを書いていたなあ。
山口百恵さんは本当にすごかったし。
アイドルの域をこえた存在でしたから。
やはり早くに林真理子さんの「作家」としての才能を見出していたのは、カモカのオッチャンの話のほうが今は有名なのかもしれませんが、田辺聖子さんです。
田辺さんも面白い方で、自分の名前が嫌いだと書かれていたのを覚えています。
「聖子という名前の響きが好きではない」のだそうです。
松田聖子さんは当時いなかったのかな。
田辺さんが、「林真理子さんはエッセイを書いているのだけれども作家だ」と指摘されたのは林さんが、ひとの行動の裏に何をあるのかを、ある種勝手に想像して書いていたから」なのです。
それが田辺聖子さんにとっての「作家性」だったのでしょう。
私はしょせんただのオジサンなのですが、ひとの行動の裏になにがあるのかを子供の頃から勝手に想像していたんです。
「自分は林さんと一緒なんだ」と思っていました。
当然私は何回も小説を書いて新人賞に応募して、落選を重ねているひとにすぎないのですが。
林さんがメディアからひいて、着々と仕事をこなるようになって、ある場で林さんの話題が出ました。
その時に友達がいった言葉に私は驚いたのです。
「ああいう風になればねえ」といったのです。
これは「あんな風に著名で、本がうれて、しあわあなんでしょ、あのひと、あんな風になれればいいんだけれども、そうはいかないでしょ、普通」ということです。
男って恋愛小説を読まないし、興味がないので「葡萄が目にしみる」以降はほとんど読んでいないのですが。
でもそれなりの歴史であるとか、プロセスを経て、あるポジションを勝ち得た方なわけですよ、林真理子さんは。
そこを経験しないで、いきなり売れっ子作家になったわけではないということがそのひとにはわかっていなかったんでしょうね。
とかね、ある種のマニアやオタクのひとは林さんとほぼ同じ経験をしているはずです。
林さんには弟さんがいるらしいのですよ。
林さんは「ウチの弟は立派だ」と思っていたんですね。
その理由は「本を読まないから」なんです。
林さんは本が好きだから本ばかり読んでるから自分はダメだと若いころに思っていたんですね。
でも弟さんは本を読まないから、優秀なんだと思っていたのです。
これはある種正解です。
本ばかりを読んでいても、「わかる部分」と「わからない部分」があるのです。
100%わかるわけではありません。
ある同じ業種の同世代の女性の一人に私は切れて、もう一人にはアドバイスをしました。
私が切れた女性は、「自分はこの世界はちゃんと勉強したからできる」と信じているひとです。
実際はできていません。
でも本人はできているし、していると信じています。
だから私は切れて、もうこのひと関わるのは辞めると思ったのです。
もう一人の女性は「思い知っている」最中でした。
ある場面での世間話に彼女はどうしても入って来れないのです。
彼女は「思い知っている」最中です。
「自分が勉強してきたことなんて意味がなかった、あんなことでは仕事のイロハもできないんだ」と。
だから私は「10年たったらわかると思います」と彼女にはアドバイスをすることが可能だったのです。
私も若いころに「思い知っています」から。
今まで考えてきたこと、勉強してきたことなんて意味がなかった。あんなことじゃ職場に人間関係一つもこなせないんだと。
本当は意味があります。
ただ実際に経験を積んで「意味は実はあった」と思うまでに10年はかかるものだと勝手に考えています。
余計な話ばかり書くのですが、オジキこと須田慎一郎さんが今はもうおわった日曜の報道番組で雑巾がけをしていたという話を大竹まことさんのラジオ番組でしていました。
島田紳助さんが司会でした。
紳助さんや「やる」ひとで「残り5秒」で須田さんに「須田さんはどうお考えですか」とか振っていたみたいです。
「やる」でしょ。
須田さんは当然答えられなくて、スタッフから怒られていたそうです。
本当に余計なことばかり書くのですが、30代のある仕事場での私の態度のようなものです。
それを見抜いていた方もいたのですが。
当時の私は「自分はバカです。バカ以下です。使いモンになりません。そういう前提で使ってください」という態度のようなもので働いていたのです。
その「態度」の感じがわかるひとがいたのです。
私がその方に「右も左もわかりません」というでしょ。
その方は「良いか。お箸を持つ方が右で、お茶碗を持つ方が左だから」と笑いながら言うのです。
紳助さんは「残り5秒」で須田さんに振るような事にとても近いと私は勝手に考えています。
そういう風に「思い知る」とじゃあ、雑巾がけからしようという風に思考が流れます。
林さんもそういう時期が明解にあったと思うし。
ある若い医師の方も「診察って、患者と向き合うってことなんだけれども、そんなことはまったく勉強してない」と「思い知って」いたようです。
ある時期に「勉強した」こと、そしてそのあとに「あの勉強にはなんの意味もなかったと思い知る」こと、そして「ゼロからあらためてなにもかも学ぶ必要があると思う」こと、そして(多分)「10年たって、勉強したことには実は意味があったんだと気がつくこと」を全部やって一人前です。
林さんはこのプロセスを全部やっている方です。
ということはやっていない人もいるということなのですが。
今でも覚えているのですが、あるオフィスでお茶くみをしていて、インスタントコーヒーをこう淹れるとレギュラーコーヒーの味になるとか必死でやっていた時期がある方ですよ。
それは「雑巾がけ」でしょう。
最近読んではいませんが、勝手に長年共感していますし。
世に出るとか、出ないとか、そういうこと以前に「私は作家です」。