スーパー301条にアメリカが踏み切ったのはビル・クリントン大統領の時です。
田舎のバカな若者からみてもスーパー301条はある種、禁じ手でした。
「あれ、そういうことは本来してはいけないことなんじゃないですか」というのがスーパー301条です。
「スーパー」という言葉がついているわけですから、それは切羽詰まった状況にアメリカが当時おかれたことを意味しているんだろうなとずいぶんあとになって思いました。
あきらかに「グレー」です。
本当に「グレー」で黒とも白とも言い難いんです。
日米貿易摩擦の真っ最中に栗本慎一郎先生が明確に書いていらっしゃるのですが。
「これは日本人にとっては本当に戦争で、しかも大東話戦争の仕返しなのだ」と。
日本人はそんなに意識はしていませんでしたが、あきらかにアレは仕返しだったのでしょう。
アメリカのひとは、ひどく傷ついていたようです。
そこをアメリカの方は当然「いわない」のですが。
ただ日本人からすればスーパー301条を引き出したこと戦争に負けて死ぬほど悔しかったことの怨恨(ルサンチマン)はそうとう晴れたのではないかと思っています。
私も当然日本人ですし、怨恨(ルサンチマン)とか、それが晴れたことに自覚はほぼないです。
でもスーパー301条で日本人はそうとう怨恨(ルサンチマン)が晴れて、アメリカのかたはひどく傷ついたのは、事実だとしか思えないのです。
ただ私ごときが書いているこを信用してはダメです。
こういうことには専門のかたがいますから。
テレビもラジオも新聞も雑誌もネットもありますから。
これはたんなる私の妄想ですから。