全オタクが感じていることなのですが、自分の知識が自分でウザイのです。
何人かでカラオケに行ったときに、私よりも一世代若い友人が「東京ラプソディー」をちょっとバカにしたニュアンスで歌いました。
彼の中では「そうとうオジサンだから」という自虐的な笑いという意図があったのはわかるのですが、オタクは思うわけです。
「この歌はそうとう難しよ。そうとう訓練したひとじゃないとなあ」とか「達郎さんの新(ネオ)東京ラプソディー歌おうかな」とか。
でもそういうことを言うのも違うし、そのあと新(ネオ)東京ラプソディーもイヤミでしょ。
こういうのがたまるんですよ。
藤山さんは声楽の訓練をしているひとですし、歌いこなせるのでしょうが。
この歌は本来どこか器楽曲です。
歌うメロディとしては難しいわけです。
偉大なんですが、服部良一さんの東京ブギウギもどこか器楽曲だと思います。
ジャズオーケストラにあうでしょ。
しかも東京ブギウギの「東京」の発音です。
「とおきょっ」です。
「とうきょう」じゃありません。
当時日本語にうるさいひとが問題にしなかったのかな。
ただ世代的にお二人と「軍歌」を作っていてもおかしくないんですが。
「軍歌」を作曲したから戦争に協力したというのは違うと思いますし、お二人の「音楽性」が「軍歌」の音楽性とどこかなじまかったという音楽的な理由で「軍歌」とはあまり関係なかったと私は考えています。
お二人の音楽性と「軍歌」はなじまないでしょ。
イヤな方もたくさんいるとは思うのですが、ただの「音楽」として「軍歌」を評価する動きがあってもいいのかなと思っています。
僕のなかでは山田耕作さんってなんかあって「ペチカ」とか「赤とんぼ」とか「この道」とか今だに好きですね。
もっと若い世代ですが大野雄二さんの音楽は結構聞いたなあ。
意識してはいなかったんですが、「あれもか、これもだ」とか思うし。
「ルパン三世のテーマ」とか大野雄二さんの作る音楽が私の世代だと大人っぽく響いたていうのもあって今でも好きです。
大野さんがラジオを話をされていて驚いたんですが、大野さんはメロディが浮かぶのを待つタイプらしいんですよ。
普通楽器でなんかコードを弾いてとか、手癖っていうかギターで作曲するひとだったらコードをいろいろ弾くんだけれども、クセがあるじゃないですか。
そういうことで大野雄二さんも作曲してるとばっかり思っていたんですよ。
でも浮かぶまで待つっていうのがスゴイと思いました。
もっと若い世代ですが、宇崎竜童さんですよ。
今は曲が先らしいんですが、ずっと阿木さんの先だったらしくて、「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ」が語りになった経緯をサワコの朝だったかなで話していらして、「日本語に厳密な方だ」と思いました。
あの歌詞は「ちょっと前なら覚えちゃいるが」から始まるんですが。
冒頭が「ちょ」です。
はねています。
スタッカートとかじゃないですか普通。
でもそういう歌があってそっちにどうしても引きずられるから語りにしたとおっしゃっていました。
クレージーキャッツの「スーダラ節」ですよ。
「ちょっと一杯のつもりで飲んで」ですよ。
この「ちょ」という響きにはなにかあるのかな。
全然違う世代のかたですが、ミスチルの桜井さんが「名もなき詩」の冒頭で「ちょっとくらいの汚れ物なら」と歌ってるでしょ。
はねてるでしょ。
桜井さんの韻の踏み方には驚いたな。
スマッシュヒットになったクロスロードでですが。
ticket to ride
感じてるくらい
日本語と英語で脚韻踏んでるんですよ。
中抜けしたひとたちは私が結構世代のミュージシャンです。