これは私が勝手にいっていることです。
「大きな技術」、「大きな知恵」は完全に行き詰まっている。
千年とか、そういうスパンでの見方が必要なのすが。
「小さな技術」、「小さな知恵」が(大げさですが)人類に必要とされている。
私はそう考えています。
日本語の中で「なんとか男子」という言葉があります。
「刺繍男子」とか。
王子の一部もそうですね。
「洗濯王子」とか。
「刺繍」とか「洗濯」とかって長く女性の領域でした。
実際女性にむいているのかもしれません。
映画「魔女の宅急便」を観た方も多いと思います。
キキのお母さんは「薬剤師」さんでしたよね。
キキのお母さんは「魔女」です。
でも「薬剤師」だったでしょ。
あと「ロードオブザリング」を観て、「そうだな」とも私は思っています。
ガンダルフは魔法使いなのですが、ある呪文がどうしても思い出せないという場面があったのです。
「薬剤師」の知識であるとか、魔法使いが覚えている「呪文」は私が勝手にいっている「小さな技術」、「小さな知恵」の領域だと思うのです。
現代日本が情報化社会であることも大衆化社会であることも間違いありません。
そのなかで「小さな技術」、「小さな知恵」がたた必要とされています。
「大きな技術」、「大きな知恵」はたとえば原発や私がいま使っているPCなどにおいて重要です。
簡単な話です。
何故私はPCが使えるのでしょうか。
キーがたたけるとか、そういうことではありません。
何故PCが存在できるのかという話です。
世界中のひとが普通はPCを作れません。
自動車も同様です。
飛行機も作れません。
でも私も含めて使えるのはなぜなのかという問題です。
こたえは「蓄積することが可能な技術であり、知識であるから」です。
そこが独特で「文字」の存在があるがゆえに成立している技術であり、知識であるのです。
そこが私が勝手にいっている「大きな技術」、「大きな知恵」の特徴なのです。
一方「小さな技術」、「小さな知恵」は蓄積がききません。
キキのお母さんもキキに薬剤師の知識を伝えていなかったでしょう。
ガンダルフも、どうしても「呪文」が思い出せないのです。
私は現場系の仕事をしていた時期があるのですが、わかりきっていることを忘れる場面が多々ありました。
ねじくぎを全部をまず、あまく締めます。
そして全部をあまくしめた後に本格的に絞めるだけの簡単な話なのですが。
忘れていて、一つのねじくぎを固く締めようとする場面があって仲間から笑われていました。
私は自分で何してるいんだろうと笑ったのを覚えています。
そういう経験は現場系のひとは誰もが経験しているはずです。
町を歩いていてある職人さんたちが笑っていました。
それは私にもわかる話です。
「あいつココちょうちょ結びにしてる」と笑っていたんです。
こういうのは「忘れる」んです。
プログラマーのひとたちにもこういうことがありませんか。
当然のことをわすれて、「あれっ」と思う場面。
あるはウェブデザインをしているかた。
忘れませんか。
ひどく当然のことを。
「小さな技術」、「ちいさな知恵」には「忘れる」という特徴があるのです。
それってガンダルフが魔法の呪文がどうしてもおもいだせない状況と同じです。
原因不明なのですが、「小さな技術」、「小さな知恵」は忘れるもののようなのです。
たとえば私はオタクなのでHTMLのタグ辞典をもっています。
元が英語だからなのかなと思っていたのですが、あれってなんか忘れませんか。
私は覚えるよりもタグ辞典を観ます。
なんか忘れません。
船乗りのひとにとってロープの扱いができる、できないな命に係わるのですが、あれを全部覚えられたら本当にすごいと思います。
「忘れる」んですよ。
「小さな技術」、「小さな知恵」には蓄積がききません。
そこが一番の特徴です。
面倒なので結論です。
「大きな技術」、「大きな知恵」があまりにも肥大化して、それが人類の危機的状況を作っている。
一方では情報化社会とともに、あるいは女性の地位向上とも「小さな技術」、「小さな知恵」が千年以上の時を経て復興しているのが現代社会であり、「小さな技術」、「小さな知恵」の中に人類の危機状況を救うものがある。