服部先生というのは、服部克久さんのことです。
お父さんも息子さんも「音楽家」のすごい家柄なのですが。
息子さんが服部克久さんのことを話していて正直面白いひとだなと感じました。
NHK交響楽団(N響)を振る(指揮する)かと思うと、数日後には(あれがなくなったのはシンボリックでしたが)新宿コマ劇場で演歌を振る(指揮する)のがなんか・・・
という話です。
新宿コマ劇場がなくなったのがシンボリックだというのは、演歌の日本でもありようと関連しています。
「演歌のこころってなんだと思いますか」と北島三郎さんに聞いているのです。
北島さんの答えは
「ふるさとを思うこころだと思います」というものでした。
演歌がさえないです。
明解な原因があります。
「大都会に出た地方出身者の気持ちを代弁するのが演歌」だからです。
今でも大都会に出た地方出身者はいます。
でもある時期から、彼らの心境に明らかな変化があるはずです。
毀誉褒貶がありますが細川たかしさんの「望郷じょんがら」という歌があります。
ユーチューブを張っておきます。
「帰りたい、帰れない、ふるさと、夢んなか」というフレーズがこの歌詞での一番需要な部分だと私はみています。
そういう「気持ち」です。
ある時期以降は帰ろうとおもえば、帰れます。
小松正夫さんが東京に出るときに「友達からなんとなるまで帰ってくるな」みたいなことを言われたとラジオでおっしゃっていました。
ある時期までは東京に行くとか、大阪に出るとかって、そうとう「重い」ことだったようなのです。
帰れる、帰れないというのは物理的な問題ではありません。
昔の言い方でいうと「東京で一旗あげる」といういい方があったくらいに「重み」が存在しました。
物理的なことではないというのは、その「重さ」が薄れたということです。
また坂崎幸之助さんの話の引用なのですが、またビートルズ(ビートルズファンのみなさん激怒させてもう訳ありません。激怒しているでしょ。当然ですよね)の話なのですが、イェスタディっていう歌は聴きあきるくらいに聴いていたし、私の世代だと教科書にも載っていたと思うのですが。
あの歌の途中です。
"Oh my troble thinngs so far away"の部分でFのコードが出てきたと記憶しています。
(記憶違いなら申し訳ありません)
あのFのコードに服部先生が反応していたらしいのです。
服部先生が「ここでFを使うということはちゃんとした作曲家なのかな」と思ったらしいのです。
とか、私は変な中学生で山下達郎さんもさだまさしさんも聴いていたんですよ。
当時普通はそれはないです。
そういう時代だったんです。
達郎さんを聴くひとはさださんは聴かなくて、さださんを聴くひとは達郎さんは聴かないような音楽環境でした。
今の若いひとでもそういのがあるでしょ。
ヴィジュアル系を聴くひとが、パフュームは聴かないでしょ。
今でいうとそんな感じですね。
さださんのアレンジを服部先生がやってて、ずっと後になって達郎さんのオーケストレーションを服部先生がしているんです。
私の中で異様に時間をかけて、服部先生でつながったんですよ。
私ごときはしょせんなんていうことはないです。
ただ服部克久先生はレンジ(はば)が広すぎです。