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世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

「郊外」がヘンなのですが

交通の便がよくなれば、その地域が繁栄するような気がします。

 

「気はする」のです。

 

しかし必ずしも、そうはいきません。

 

たとえば首都圏で東京だけ(と言って良いでしょう)が繁栄しています。

 

田舎の人間は私も含めて「埼玉とか千葉とか悪いように東京のひとはいうし、埼玉や千葉のひともなにかあるみたいだけれども、都会なんでしょう」と普通に信じています。

 

しかしやはり都会とはいいがたいようです。

 

私は郊外の育ちで、今地方都市にいます。

 

松任谷由実さんに作家の山川健一さんがインタビューしたものをまとめた「ルージュの伝言」に書いてあった内容と同じ経験を私はしていて驚いたのです。

 

 

ルージュの伝言 (角川文庫 (5754))

ルージュの伝言 (角川文庫 (5754))

 

 

オリジナルはアメリカのNY郊外に生まれた著名な方です。

 

私が名前を忘れてしまたので書けないのですが、松任谷由実さんはその方の本を読んで「自分と同じ経験をこのひとはしている」とおどいたという話をしていたのです。

 

そして私も同じ経験をしていたのです。

 

その経験とは自分の町から都会にでるときに二つの川をまたいでゆくという経験です。

 

熊本なんて小さな町なのですが、私は郊外の産まれで、育ちなのです。

 

私が生まれ育った町から熊本の街に出るときには「加勢川」と「緑川」という二つの川をまたいでゆくのです。

 

都市圏が小さいので、すぐそこですし、「川」もたいして大きな川ではありません。

 

ただあのNY郊外の方はNYに出るときに川を二つまたぎ、松任谷由実さんも東京の繁華街に出るときに川を二つまたぎ、私も熊本の小さな繁華街に出るときに川を二つまたいでいることに私は驚いたのです。

 

郊外という地域は独特で、「熊本市」のひとが聞くと、「その言葉使いがわからない」という場合があります。

 

私は宇城地域というところの出身なのですが、この地域のひとは普通に「市内にゆく」と言います。

 

熊本市民のひとがきくと「このひとはどこに行くのだろう」と思うのです。

 

郡部なのですが「行政区」は「市」なので。

 

宇城地区の人間が「市内」というときは「熊本市内」のことです。

 

英語でいえばdown townなのでしょう。

 

「郊外は郊外では完結しません」。

 

そのこと自体が「郊外の人間にとっては当たり前すぎる」ことなので、それが一般的ではないことの自覚がないのです。

 

若いころにある熊本県下の違う町にいって、私は不思議に感じたのを覚えています。

 

本渡という町です。

 

その町の知人が、本渡の町の居酒屋に集まって飲んでいるというだけのことです。

 

若干変わってきているとはいえ郊外の人間は、熊本市で遊ぶのです。

 

これは同じような地域で育ったひとが言っていて、そういう風に私も感じるのですが、例えば「八代」(やつしろ)という町があります。

 

「八代」(やつしろ)のひとってなんか八代(やつしろ)から出ないんだよね。あれなんだろう

 

というのです。

 

本渡にしても、八代にしても、「郊外」ではないので、ワザワザ町のそとに出る必要性がありません。

 

だからあまり出ません。必要性がありませんから。

 

そしてその町、その町の若者風俗(たとえば服のはやり)が若干違うのです。

 

私のような「郊外のひと」は町への帰属意識がどこか一般の都市のひととは違うようなのです。

 

ですから「あの服はどこの町の感じ」とかがわかるのです。

 

どこの町にも明確に帰属していないからなのでしょう。

 

同じ地域の友人の話なのですが、宇城地区から熊本市へは電車で15分程度ですし、バスでもそんなに時間はかかりません。

 

彼はバスで熊本市に行くのが子供の頃好きだったといっていました。

 

「地元から熊本市に近づいてゆくとだんだんと都会(といっても熊本市はしょせん田舎町なのですが)になっていくのが見えるから、それとともに気持ちが盛り上がって行くから」なのです。

 

この感覚が私にもありました。

 

若い友人が出来て、地元に遊びに行こうかと言ったことがあります。

 

合志町のひとなのですが(合志町熊本県下で住みやすい街No.1です)、彼が「合志にはなにもありませんよ」というのです。

 

「じゃあ上通りで良いかな」と私がいうと「良いですよ」というのです。

 

熊本市に上通りというちいさなアーケード街があるのですが。

 

合志町もやはり郊外のようです。

 

その彼の「感じ」が私によくわかるのです。

 

他県の友人が来たとしても、宇城地区を案内しようとはまったくおもいません。

 

やはり「熊本市」を案内するのが私にとっては普通です。

 

今は熊本市に住んでいますが、長年熊本市には住んでいないのに。

 

関西でいうと滋賀県です。

 

滋賀県がやはり「郊外」らしくて、住みやすいといわれているらしいのです。

 

滋賀県の方の悪口ではありません。

 

滋賀県が良いというのが「京都」、「大阪」へ簡単に行けるし、なおかつ地元が田園地域だからなのでしょう。

 

大昔に大学でアメリカ人の英語の先生が英語でcountryっていうのを日本語だと田舎と翻訳するんだけれども、ニュアンスが違うと説明していました。

 

countryに蔑称のようなニュアンスはないが田舎は蔑称に当たるからだというのです。

 

countryは日本語でいえば「田園」なのでしょう。

 

郊外型ショッピングモールの問題も指摘されています。

 

しかし宇城地区は郊外ですから、当然郊外型ショッピングモールが二つあります。

 

一つはちいさなものですが。

 

アマゾンと楽天もありますし。

 

今後の郊外の行方が私にはさっぱりわからないのです。

 

地元で遊ぶ方向性もあるようなのですが。

 

それが一般化すると「郊外」が「郊外」ではなくなってしまうのですが。