その映画はみていないのですよ。
ただあらすじを知っていたので若い映画好きな友人に話をしていました。
レンタルが始まっているのかどうか不明です。
「ローン・サバイバー」です。
4人のアメリカの兵隊さんが、ある選択を迫られてという実話に基づく話です。
4人で戦うはめになるのですが、相手は200人です。
ホントに映画は専門ではないので、私よりもはるかにくわしい皆さんがネット上にもいくらでもいるのでググってくださいね。
「ローン・サバイバー」自体実話に基づいているので、気楽な話ではありません。
ただその時には「こんな話だからとか」私が勝手に盛り上がっていたんですよ。
その時に「言えないんだけど、四人対二百人だよ、どうする?」とか私が言っているんですよ。
そうすると彼が「わかりました。四人対二百人というタイトルなんですね」というわけですよ。
私は「違うよ。ローンなんだって・・」とか言ってるんですよ。
このケースでいうと「ローンlone」は「孤独の」とかそういう意味でしょ。
「サバイバーsurvivor」は「生存者」とか「生き残ったひと」でしょ。
今研究社のユニオン英和辞典(第二版)をめくっただけで僕は英語できないんですよ。
出来ないから、「ローンサバイバー」というタイトルを邦題にされる困ります。
簡単にいうと「ローンサバイバー」のほうがカッコいいんですよ。
それはそうです。
日本語の環境上そうです。
余計な話ですが、今でも「漢語」って難しいけれども、意味が厳格につたわるし、ちょっとカッコいいでしょ。
「大和言葉」はドメスティックなもので日本人の「身体」っていうか、とても近しい「言葉」でなんかカッコよくないようなところがあります。
アメリカでも「これってUSのドメスティックな感じだな」と思うとなんか「おしゃれじゃない」ってあるはずです。
フランスでも「これってフランスのドメスティックな感じだな」と思うとなんか「おしゃれじゃない」ってあると私は考えています。
ドメスティックなものとか感覚とか言語とか、あまり「近しいからおしゃれにならない」っていうことが構造的にあるはずです。
だから海外の歌でも、映画でも邦題をつけない方向性が出るのは当然です。
だけれどもちょっと考えてほしいのですよ。
マット・ディモンの「ボーン」シリーズがあるでしょ。
三作品は観たし面白かったんですよ。
だけれども“The Bourne Identity","The Bourne Supremacy",“The Bourne Ultimatum"ってこれはウィキからコピペしました。
私の英語力では無理です。
辞書を私は引きますよ。
まず"identity"ですね。研究社さんのユニオンに聞きます。
1.同一であること 2.同一人(同一物)であること 3.本質、個性なんですね。
次は"supremacy"ですね、研究社さん出番です。
1、至高、至上 2、主権、支配権、優勢なんですね。
最後ですよね、ユニオンさん。
"ultimatum"最後の言葉、最後通告ですよね。
あなたは、アホだコイツ検索するだけじゃんと思ったでしょ。
それをしてもよかったのですが、私がどこから、その翻訳語をもって来たのかをちょっと明確にしたかったんですよ。
”legacy"遺産ですね。
これもユニオンさんです。
「構造上」身に近い言葉はどうしてもダサいものです。
ですが、この私がやっている行為のアホさ加減の原因が邦題をつけない配給会社にあるしょ。
あなたはこの意味を知っていましたか。
知らなかったでしょ。
それ普通です。
JFNの深夜も落ち着かないのですが、「ビッグスペシャル」をやっていたころには聞いていたんです。
私は超早朝型だから夜中に起きて作業しながら。
ビートルズの日本のディレクターをずっとやっていらした現在とてもえらい方が言ってたんですよ。
「抱きしめたい」とか全部自分がつけたんだけれども、ちょっと別にひとがディレクターをやっていた時期にジョージ・ハリソンの"While My Guitar Gently Weeps"がシングルになって、そのまま「マイ・ギター・イズ・ジェントリー・ウィープス」が邦題になったんだけれども、(weepは「嘆く」とかそういうことなのですが)、僕がディレクターをやっていたら邦題をつけていたとおっしゃっていました。
「簡単だと、ギターは泣いているでいいでしょ」とおっしゃるんですよ。
その通りだと私は思います。
「構造」上、「身」から遠い言葉のほうがどこの国でもオシャレで、カッコいいです。
だけれども「ギターは泣いている」のほうがいいと私は思いますよ。
余計なことをさらに書くのですが、私は熊本のひとなので「方言」を使うでしょ。
あれがちょっと恥ずかしいんですよ。
「標準語」だか「共通語」だか使うほうが感覚として「おしゃれ」で「カッコいい」んですよ。
だけれも「軸」っていうか、「核」っていうか、そういうのが「方言」のほうがあります。
いつからか、「インテリ」って悪口でしょ。あれって極端にいうと
「あのひとたちって身体がないよね」
っていう意味が含まれていると私はみています。
昔風に言えばですよ。
「俺たちは汗水流して働いて、ゼニを稼いで、飯食ってるのに、アイツ等は全然違うよね」
っていう「感覚」の基づいていると私は考えていて、それはサブカルだろうと、ファッションだろうと何でも良いんですよ。
「身から出た言葉」でいう訓練をしておかないと、「軸」とか「核」がない「言葉」になる可能性があります。
そういう「軸」や「核」がある「言葉」を使うことって、変な言い方なんですが、「生体」に行ってもんでもらうくらいの意味や価値があると私は考えています。
もちろん「言葉遊び」は「言葉遊び」でしていいんですよ。
ただ「言葉遊び」が「知的だ」とか、特に若いころに勘違いしてしまうことがあります。
それは若者と特権です。
ある年齢をこえて「軸」も「核」もない言葉をもてあそんでいるのはそうとう大人気ないです。
私が書いていることわかるでしょ。
そういうひとはあなたもまわりにもいるでしょ。
「違うんだよね、このひと」って、あなたは内心思っているでしょ。
それってそのひとの言葉に「軸」や「核」がないからです。
「身体」っていうか。