私は伊丹十三さんと書きました。
今は伊丹十三監督だと思います。
ただ伊丹さんは映画監督になる前に、そうとうというか異常なくらいの良い仕事をしています。
ただある映画のタイトルについては嫌悪感をもつ方々がいて、それは当然なのですが、地域性があったのだろうと考えているので、そこだけさきに説明しておきます。
映画の内容以前に「このタイトルはひどすぎる」という当時評判だった映画のタイトルです。
「あげまん」なんですよ。
これは伊丹監督が東京にいた時期もあるようなのですが、基本関西で育ったということと関東の言語センスの方の間の齟齬があったのだろうと私は考えています。
関東の言語センスでいうと「下品すぎる」でしょ。
この映画のタイトルって。
ただ伊丹監督は基本関西のひとだから、「この言葉はあまりにも下品だ」という感性がなかったんだろうと想像しています。
伊丹さんはすごかったんですよ。
私はテレ朝日のアフタヌーンショーで伊丹さんが社会面の話題を事細かにリポートしているのも夏休みにみて、「このひとってなんだろう」と思っていました。
いわゆるニュースで政治・経済にくらべると「社会面」てどこか地位が低いところがありますよね。
それって、たとえば「痴漢」の報道がずっとあるじゃないですか。
「痴漢」にあわれた被害者の方には心よりお見舞い申し上げます。
ただ「痴漢」でいい年をした、結構えらいひとが捕まると、そのひとはなにもかもなくすんですよ。
会社にしても、役所にしても「懲戒解雇」でしょ。
奥さんは子供を連れて「離婚」でしょ。
そういうことを知っているようなひとが「痴漢」をするでしょ。
被害者の方には本当に申し訳なのですが、「ちょっと笑って」いませんか。
殺人事件なら違いますし、薬物依存でも重すぎて、黙るのですが、「痴漢」だとすこし笑うようなところがあるでしょ。
私はあります。
「社会面」の地位が低いというのはそういうことです。
伊丹さんが、社会面の話題を深堀していたんですよ。
しかも詳細でわかりやすいリポートをするんですよ。
だから子供でも「このひとはなんだろう」と思うんです。
役者さんとしてもすごくてちょっとウィキったのですが、大河ドラマ「峠の群像」で吉良上野介役をやっています。
「峠の群像」は「忠臣蔵」をそうとうリアルに描くという試みがあったのではないのかなと私は考えています。
見終わってなんか苦しくなるような「忠臣蔵」でしたし。
「忠臣蔵」は簡単にいうと「復讐劇」です。
浅野内匠頭がひどく、理由が多分あるのですが、吉良上野介にひどい目にあわされ続けるんですよ。
それで、ある場面で、「もう限界だ」ということで江戸城のなかで浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかってしまうというところがあって、浅野内匠頭の家臣が吉良に無事復讐を果たすという話(って私は勝手にこうまとめていますが、あなたは本当に勉強してください。私がごときがいうことをいちいち鵜呑みにしてはダメですよ)です。
「そんな復讐劇なんて」とあなたは思ったと私は想像します。
でも近年の(私は観ていないのですが)大ヒットしたテレビドラマの「半沢直樹」って、あれは復讐劇ですよね。
世界的ということになると私には無理なのですが、ただシェークスピアの「ベニスの商人」はやっぱりどこか「復讐劇」に入ると思います。
「ベニスの商人」に関してはググってください。
世界的な「古典」です。
物語のパターンというと軽すぎるのですが、「あるひとがいじめられて、いじめられて、苦しんで、しかもそのひとは善良で、一方イジメているほうがイヤやヤツで。最後か途中からそのイヤなヤツがひどい目にあう」という話ってあるでしょ。
これって日本人に限ったことじゃなくて、みんなどこか「好き」な物語ですよね。
だから「半沢直樹」も大ヒットしたのだと私は考えるのです。
で「峠の群像」も「忠臣蔵」だから吉良はイヤなヤツである必要があります。
敵役(かたきやく)です。
この役を伊丹さんがやるとほんとにイヤなヤツだったんですよ。
このイヤさ加減がもうたまらないくらい素敵で、「吉良はこうじゃなくっちゃ」っていうくらいにイヤーなヤツとして伊丹さんが演じていたなあ。
観てはいないのですが、「半沢直樹」の香川照之さんがやっぱり圧倒的にイヤなヤツだったはずです。
「半沢直樹」でいうと香川照之さんがあまりにイヤなヤツにしか思えないから「復讐するのは当然だ」とみんな思っていたはずです。
そういう役どころがあるじゃないですか。
香川さんが演じた役があまりイヤなヤツだとしか思えないから、みんな「半沢直樹」に気持ちが入ったはずです。
「復讐劇」はそういう構造っていうか、そういう仕掛けがあるものです。
伊丹さんの役がホントに憎たらしいのが素敵だったんですよ。
ホントに憎たらしかったなあ。
「役者はそうじゃないと」って思ってたなあ。
ほかにもいろいろ仕事をされていて、ポーンと映画監督ですね。
「お葬式」なんですが。
「お葬式」を観て、当時はまだガキだから意味がわからない場面が多々あるんですよ。
それを濡れ場です。
性的な場面です。
意味が分からないんですよ。
「お葬式」と「性的な何か」がむずびつくことも意味が分からなったんですよ。
海外でも評価を受けた映画ですが滝田洋二郎監督の「おくりびと」を観て、やっと私は「お葬式」に濡れ場の意味が分かるのです。
一方のモチーフていうか、そういうのが「死」でしょ。
当然「生」(つまり「生まれる」)という対比が入るのは当然なんですよ。
ただ「お葬式」を観たときはガキでしかないから、「濡れ場の意味って何かありますか」程度ですよ。
まとまらないし、まとめるつもりもないのですが、伊丹十三さんはすごいひとだったなあ。
最後に余計なことを書くのですが、映画監督として、あれだけ「娯楽映画」でなおかつ「質」が高いものを作ろうという日本の映画人がマレです。
山田洋二監督(すいません、あまり観ていません)はやっぱり「娯楽映画」なのかなあ。
アートムービーというか芸術映画もないとダメなんですが、メインストリームは「娯楽」で「質」が高いものである必要性ありますよね。
映画は確実にそういうジャンルだと私は考えています。