久米宏さんは自分の考えというか感覚をいうタイプのニュース番組の司会者でした。
ニュースはやっぱり難しいものだと私は思います。
久米さん自身が自分はニュースキャスターではなく、ニュース番組の司会者だと最初から最後まで言い続けたのだからニュース番組の司会者だったのでしょう。
あの時期は日本のニュースの変革期でした。
フジテレビは木村太郎さん、日本テレビは櫻井よし子さん、TBSは筑紫哲也さん、テレビ朝日は久米宏さんがいましたから。
「ニュースキャスターは自分の考えをいわないものだ」というのがアメリカ流の考えで、私はあの方がそうとう「ここは言いたい」と思っていても言ってこなかった長い時期があるし、ニュースキャスターを長年務められたのだから、それだけで尊敬している櫻井よし子さんは、本当に「意見をいわないタイプのニュースキャスター」でした。
今の東京都知事の小池百合子さんはテレビ東京でニュースキャスターをお勤めになっていましたよね。
ただ日本の場合はニュースキャスターがNHK以外は意見を言っても良い環境があります。
フジと日テレは「保守」で、TBSとテレ朝は「リベラル」だという前提でほとんどのひとが観ているからです。
テレビ東京は熊本ではネットしていないので私にはわかりません。
久米宏さんの「ニュースステーション」が人気があり、番組スタッフも結構良い気になっていたと思います。
多分ですが。
だからと言って久米宏さんや「ニュースステーション」に世論の誘導が、そもそも可能だったと私は考えていません。
テレビだけに限っても今まで書いてきたようにいろいろな態度や立場での報道が存在していたからです。
「ニュースステーション」はこうだよね、じゃあ木村太郎さんはどうなんだろうという感覚が存在したと思うのです。
筑紫さんは当然そういう感じになるよねとか。
久米さんの「感じ」ってこういう「感じ」じゃない、だから久米さんはこういうはとか、別に久米宏さんをバカにしているわけではありません。
今でいうとなんだろう。
サンデーモーニングがあるじゃないですか。
これは「サンデーモーニング」のものの見方だよねっていうは大前提でしょ。
フジテレビの日曜日の朝はこうだよねとか。
そういう前提を踏まえて視聴者は観ていたはずです。
もちろん全員ではありませんよ。
でもほとんどがそうでしょ。
わたしはそうだったと考えています。
養老孟士先生はNHKのニュースが嫌いだと書いていらっしゃいます。
「中立な報道はそもそも存在しえないものにもかかわらず中立な報道をやっている」というNHKの態度が論理的に破たんしているというのが理由だと私は考えています。
世論は誘導は今も日本社会で普通にエグク行われれています。
堤未果さんはは56回日本エッセイスト・クラブ賞と、中央公論新社が主催し出版各社の新書編集長と主要書店の店員が選ぶ「新書大賞2009」の二つを受賞しているような立派なジャーナリストです。
堤さんの新刊を待ち望んでいる読者も多数います。(私もその一人です)。
別に私はそういうことをしても良いんですよ。
堤さんの本を10冊買って、友達に配るとか、そういうこと。
でもやっぱりそれでは弱いでしょ。
でも堤未果さんが全国ネットのテレビで発言していることはないのです。
出演はあるようですが、詳細な取材内容を紹介するようなことはありません。
世論の誘導というものは、「堤未果にしゃべらすな」とかいう非常にエグイカタチで今も行われていますし、久米さんとかニュースステーション程度(久米さんやニュースステーションをバカにしているわけではないです)の論調がどうだというようななまっちょろい方法は取りません。
もっと賢くてエグイのです。