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世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

「ひきこもり」の小ネタがあるんですが

その番組も最近観ていないのですが、テーマが「ひきこもり」だったのです。

 

私は元ひきこもりですし、観ていました。

 

深刻な話題なのですが、最近自殺に関しての話題が薄れているとは思いませんか。

 

原因は一言ですし、それは何とも言えない皮肉なことでもあります。

 

一言です。

 

「3万以下になったから」です。

 

しかし「日本の自殺者が3万人を下回った」からと言っても問題が解決しているわけでは当然ありません。

 

そのいきさつはライフリンクの代表の清水康之さんが姜尚中さんと対談で話されています。ユーチューブに上がっているのではっておきます。


姜尚中 多士済々 2016年3月14日 NPO自殺対策支援センター ライフリンク代表の清水康之さん

 

清水さんのアプローチはきわめて的確なものでした。

 

亡くなられたお一人おひとりに寄り添うということをされています。

 

お一人おひとりです。

 

私の想像を絶するのですが、ご遺族のかたのお気持ちが当然あります。

 

そのご遺族のかたを訪れているのです。

 

清水さんが「お一人おひとりに寄り添うという」発想やお気持ちがあればこそだと私は思うのです。

 

そして詳細なリポートが出来て、そのお一人おひとりの「生」が(あるいは「死」が)、あるいはその「重み」が多くのひとを動かすことにつながっていったのです。

 

ライフリンクのリンクを張っておきますが。

 

自殺実態白書|自殺対策支援センターライフリンク

 

ここから、その詳細なリポートを読むことが出来ます。

 

「重い」ですよ。

 

お一人おひとりの「生」や(「死」や)その「重み」が多くのひとを動かし、結果として「3万人を下まわった」と私は考えています。

 

数字って力があるので、たとえば(これは架空の数字です)「その発言は引き込み何万人(この数字が具体的であればあるほど力があります)を苦しめる」という発言をする気持ちはわかります。

 

ただデータというか、もちろん詳細なデータに基づく報道や研究は重要なのですが。

 

「ポーンと数字を投げつけられる」と響くのです。

 

「日本の自殺者が3万人」と聞いた時に私も含めた日本人に「響いた」のです。

 

それがあまりに「響いた」ので、「3万人を下まわったから」といってまったくよくなんかないのに、「よくなった」と「勘違い」しているのです。

 

それは「良い」ですか。

 

「良くない」です。

 

ただ本当に皮肉だとしかいえないのですが、「お一人おひとりに寄り添った」結果自殺者が減ったということはありうることで、そして「3万人」を下まわったとたんによくなったと私たちは勘違いをしています。

 

あんまり重くなったので引きこもりの話に戻すのですが、ひきこもりや自殺だけではなく、もちろんこれは重要な学問分野なのですが。

 

統計学」です。

 

統計学」が誤用されているような状況がそうとうあって、真摯に「統計学」に取り組んでいらっしゃる学者さんがひそかにそうとう怒っていらしゃいます。

 

基礎的な本を読んだのですが、学究の徒でいらっしゃいますし、基礎的な事柄から勉強しましょうかという程度のことしか書いていらっしゃいませんでしたが。

 

そうとう怒っていらっしゃいます。

 

正確な引用でないとあまりに失礼ですし、アマゾンのリンクも張りません。

 

本当に「統計学の誤用」だあるとか「数字の強い印象」であるとか、それはやはり気をつけたほうが良いと私は考えています。

 

それが「路上生活者」の問題であっても、「貧困」の問題であってもです。

 

経済の問題であっても、政治の問題であっても、当然そうです。

 

「お一人おひとりに寄り添うこと」と「統計学」とは本来矛盾しないものにもかかわらず、「数字」が「数字」でしかありえないような「データ」の使い方には注意したほうが良いのは当然ではないのでしょうか。

 

やっと「ひきこもり」の小ネタなのですが、私がそういうからみがあるからそういう場所に行ったといえば、それまでなのですが、そういうセミナーは日本中で普通に行われているはずです。

 

特別にマスコミに対する宣伝もしてはいないので、そうなのでしょう。

 

でもマスコミ関係者が何らかのカタチでそこを知って、そこにいたとしても、おかしくはないはずです。

 

いませんでした。

 

友人に新聞記者もいますし、放送局に入社した友人もおりますし、なおのこと言いずらいのですよ。

 

冒頭にあげた番組は情報番組でしたし、「報道」とは違うとかいわれれば、また「これは娯楽だから」といわれれば、一言もありません。

 

ただ私程度の知識もない状況下の番組作りを私は激しく批判するのです。

 

本当に小ネタなんですが、あるひとの話がネット社会以降のひきこもりにはそういうことがあると思いました。

 

そのひとはひきこもって時間が山のようにできたので、ずっとインターネットゲームをやっていたそうです。

 

私はゲームをしないので、知らなかったのですが、グループを組むことが普通のようなのです。

 

彼は内心思っていたらしいのです。

 

「自分は引きこもっているからバカみたいに時間があるからずっとネットゲームをしているのだけれども、いつも同じメンバーがいて、ハンドルネームでしか知らないのだけれども、同じメンバーで組んでいるよね。この人たちってなんだろうか」と。

 

でも自分がひきこもってるわけですし、その話題には触れられずに楽しくネットゲームをしていたらしいのです。

 

ある時に「実はオレ引きこもりで」とゲーム中につぶやいたのでしょう。

 

すると「実は私も・・」、「実は僕も・・」、「えっ、オレも・・」、「じゃあ、全員ひきこもっているの」ということが分かったのです。

 

話がそこで終わるのなら、小ネタではありません。

 

終わらないんです。

 

「どうせオタクなんでしょ、誰がウェブデザインとか出来ない?」という話になり、「私できる」、「僕もできるな」ということになり、「じゃあ誰か営業できない」というと「営業はできるな」というひともいて。

 

「じゃあ商売しよう」と言って、立ち直ってゆくのです。

 

その中で一番自分が社会不適合で、就職はありえないと思っていた方が「なぜか就職して・・」という小ネタです。

 

いくら情報番組とはいえ、この程度の小ネタは仕込んでおてほしいものだと私は思うのです。

 

私ような品格のないひとが怒る必要性もあると思うのですよ。