世の中と私

グチです。でも世間のおかしさをいちいちいうと世間にいられないでしょ。

佐藤優さん大衆化計画

まだもめていますが、アメリカの大統領がトランプさんになりました。(一応決定ですよね)

 

私はちょっとニュースジャンキーなので、これまでの経緯やトランプさん誕生に関する私見(もちろんど素人ですから、それは素人考えですが)をもっています。

 

ニュースジャンキーなのでネタもボチボチはもっているのです。

 

あるところに私は驚きました。

 

お昼のワイドショーでトランプさんの話題をとりあげていて、私は申し訳ないのですが、その番組のコンテンツはほぼ知っていることだけでしたら、興味がそんなにありません。

 

でも、その場の私以外のひとが食い入るように観ているのです。

 

不思議でした。

 

そのあと午前中の坂本美雨さんの番組を途中から聴いたら、ゲストの三宅裕二さんが番組の最後に「アメリカでトランプさんが大統領になって、今度世界はどうなるんでしょう」と言って"What's a wonderfull world"をかけたのです。

 

私は基本言わないんですが、「考えましょう」と思いつづけていますし、精神科医名越康文先生はしょっちゅう「勉強しましょう」と言っています。

 

ただ「考える」にしても、「勉強する」にしても、「契機」(きっかけ)のような何かが必要です。

 

「好きだ」ということはありえます。

 

ただ「好き」と思えるひとはごく一部です。

 

ほぼ全員がなんらかの「契機」(きっかけ)というか、「必然性」があるからこそ、「考え」もしますし、「勉強」もします。

 

もちろん「好き」なことも「契機」(きっかけ)です。

 

そこは私がいっても良いと思いますが、トランプさんがアメリカの大統領になったことは契機(きっかけ)でしょう。

 

トランプさんなのですが、大国の大統領をつかまえて、申し上げることではないのですが、「つっこみどころ満載です」。

 

なんかそういうひとですね。

 

私だって、本当にどうでもいいことなんですが、トランプさんの奥様がおきれいでいらしゃることに一言二言申し上げたくなるのです。

 

そういうことの「面白味」はあります。

 

それは「本流」があっての、事柄だと思うのです。

 

トランプさんの奥様がキレイなひとであることにも意味を私は感じますし、そういうことに関して考えたりするのは、私のような暇人がやることです。

 

そういう暇人にとってトランプさんは語るべきこと(枝葉末節です)が多すぎるのです。

 

幹があっての枝葉末節なのです。

 

私がトランプさんについて書くのは、おそらく初めてなのですが、「あまりの書きやすさ」にひるんでしまうのです。

 

死ぬほど忙しい方なのですが、佐藤優さんような本流に、「大衆化」されてほしいのです。

 

(テレビをバカにするわけではありません)どうでもいいテレビ番組にも出演してほしいのです。

 

そういう本流があれば、私のような枝葉末節も出ることが出来ます。

 

正直申し上げてトランプさんの話題、ニュースが枝葉末節だらけなのです。

 

三橋貴明さんも「大衆化」されてください。

 

こういう言い方は今はないのですが、「硬派」という言い方があります。

 

「政治、経済」は「硬派」です。

 

ここは「硬派」なんですよ。

 

私は「硬派」に所属する話題も書いていますが、一定程度の遠慮があります。

 

抽象知みたいなみたいなみたいなものは「専門」に近いのかもしれません。

 

でもそれにはそれなりの「努力」があっての「抽象知」みたいなことが「専門」だといっていいのかなとごくごく最近言い出しました。

 

それまではバカな若者、わけがわからないオジサンであり続けました。

 

昔の日本語に「床屋政談」というものがあり、これはオッサンどうしがそこいらで政治の話をああだこうだいっているということです。

 

そんなレベルの話をテレビですんなというイヤミを書いておきます。

 

絵面の面白味以外なにもないですねというイヤミも。

 

全部じゃないですよ、そうじゃない番組もあるからテレビを若干観ているのですから。