これは前に別のブログで書いたことがある内容です。
日本の古典文学に「枕草子」があります。
清少納言の描写力は天才だとしか言えないものです。
約1000前の仕事なのに今読んでもわかりますから。
ただの彼女の結論は二つだけです。
「をかし」か「わろし」です。
天才でしかありえない描写をした後に、彼女は「をかし」か「わろし」でまとめるのです。
「枕草子」の結論は二つしかないんです。
あなたは奇妙だとは思いませんか。
「清少納言の結論は二つだけなんですか」と思って。
私はそう思うのです。
ただ、これは女性蔑視ではないのですが、女性の結論は少ない傾向にあります。
この言い方をされると誰も反論でない言い回しを日本女性はもっています。
「生理的に無理」という言い回しです。
男がどこかずるいということとも関連していると思うのですが。
男の結論は非常に多いのです。
たとえば「いかがなものかと思う」という結論があります。
これはどういう意味だと思いますか。
「私はその事柄を承服しかねるのですが、そういう事柄があるのですね」
という意味です。
そういう結論はなにを語っているのでしょうか。
簡単にいえばなにも語ってはいないのです。
賛成であるとか、反対であるとか、それは間違っているとか、あるいは正当性があるとかをいえば語っていることになります。
しかし、そういうことから逃げているのが、「いかがなことかと思う」です。
責任を取りたくないというメッセージです。
そこが一番重要なのです。
「発言はしたいが、責任は取りたくない」という場合に使うのです。
ずるいでしょ。
男にはそういうずるさがあることと、男の結論の多さが関連していると私は考えています。
もちろんそれだけではないです。
たとえば映画を観て「感動した」と言ってもほぼ何も語っていないことに近いので、なんらかの別の言い方を探す場合も多々あります。
そういう場合もあります。
清少納言の「をかし」と「わろし」を、ちょっと前の日本語に置き換えると、こうなります。
「かわいい」と「ださい」です。
清少納言はなんのかんの天才でしかありない描写をした後に「超かわいい」とか「ダサッ」というひとです。
フェミニンでしょ。
「生理的に無理」に近いんです。
2016年の日本語では「ヤバッ」という言い方があります。
「やばい」を縮めた言い方です。
「やばい」は本来「危ない」という意味です。
それを「危ないくらいに良い」というニュアンスで使います。
基本的にはですが。
だから「危ないくらいになんとかだ」という場合にはすべてに使えます。
ですから「やばい」という言葉は非常に幅広くつかえるのです。
「かわいい」もそうですよね。
なんにでもつかえますよね。
「ださい」も対象がなんであれ、それがものであっても、事柄であっても、ニュアンスであっても、雰囲気であって、なんにでも使えますよね。
そういう言葉が普通に流通しているということは結論が少なくなっているということを表しています。
あるいは「ひらがな」の問題です。
「ひらがな表記」が多いですよね。
カタカナは私には解説できないのですが。
日本語のなかで「漢字」は男文字です。
「ひらがら」は女文字です。
このことは橋本治さんが詳細に記述しています。
橋本さんに失礼ですが、このタイトルに魅力を感じないひともいるかもしれません。
でも橋本さんならでは独特のものの見方や表現があって「素敵な」本です。
橋本さんが1980年代の女子高生言葉で枕草子を翻訳しています。
それがこれです。
これは一字一句変えないでの現代語訳なのですが。
橋本さんは「をかし」を「素敵ね」と翻訳しました。
「素敵」ってなんにでも使えますよね。
政治みて「素敵」、スポーツをみて「素敵」、友達をみて「素敵」、服をみて「素敵」。
「素敵」ってもちろんほめてはいますが、ほぼなんにでも使える日本語です。
ですから、この翻訳は非常にすばらしいものだとしかいえないものなのです。
最後に橋本さんの本をもう一冊紹介して文を終えます。
昔の女性で「あなた現代の女性だとしか思えません」という女性たちを描いた本です。
というよりも今という時代がフェミニンな時代なので、日本史上やはり過去にフェミニンが時代があり、その時代に活躍した女性のありかたは当然のように現代の女性とまったく同じなのです。
日本の女帝の物語―あまりにも現代的な古代の六人の女帝達 (集英社新書 506B)
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