大宅映子さんはなんだろう。
ジャーナリストですよね;
私は大宅映子さんに感謝しています。
何故感謝しているのかをこれから書きます。
日本の特に政治に関する「発言」の状況がおかしかったころがあります。
55年体制と呼ばれるものがあります。
日本が戦争にぼろ負けしたのが1945年ですから、10年後ですね。
ある構図がずっと続いていました。
それは「開発独裁」と呼ばれるもので、当時の日本社会にはどうしても必要なものだったのです。
常套句になっていますが、「政官財の癒着」という言い方がありました。
もちろん悪口です。
でも政官財が独裁して、この国を動かしますということです。
たとえば「東京一極集中」も同じ原因で起きたと思っています。
東京が独裁しますということです。
自民一党支配は自民党が独裁して開発をするという意味です。
自民党が「独裁」して日本を豊かにすると責務を負っていたのです。
その状況では政権の交代はないです。
「独裁」している存在があるのが普通だからです。
余計なことを書きますが、私が選挙権をもらっていれる政党は基本自民党でした。
当時は社会党にも力があって、社会党の公約も魅力的だったのですが、私は自民党の公約のほうに魅力を感じていたからです。
ウチは貧しい家です。
だから余計に自民党でした。
簡単な話です。
社会党は、例えば学校のクラスの人数を減らして良い教育をいますという公約を掲げます。
これは「税金の配分」の問題です。
みなさん税金を納めていますよね。
その税金をどう使うのかを決めるのは政治家さんのもっともと言っていいほど大きな仕事なのです。
ですから社会党の公約や主張は、きわめて適切なものでした。
しかし私は自民党に入れていました。
これは自民党の公約が私にはより魅力的だったからです。
当時の自民党は「日本をもっと豊かにします」と言っていたのです。
経済学で「パイ」というたとえを使いますよね。
例えば、家族が5人いるとします。
その家族5人で、食事の時にパイをどう分けるのかを考えているとしてみてください。
大人が、たとえ3人、子供は2人だとします。
大人のほうがたくさん取り分を多くするのか、それとも子供のほうの取り分を多くするのかちょっと考えませんか。
場合によっては男と女では基本的には男の食事の必要量のほうが多いですよね。
パイをどう分けるのかという問題が当然あります。
当時の社会党はパイの分け方の話をしていました。
しかし自民党の話は違うのです。
パイを大きくしましょうという話です。
「分け方はもちろん大事です。でもパイを大きくしたら、あなたのような貧乏な家だって取り分が増えるじゃないですか」
という話なのです。
だから貧乏な私は自民党に投票していたのです。
私の感覚ではバブル崩壊後に日本は先進国なみの豊かさを手にしました。
私自身は「もうパイを大きくする必要性は去ったな」と感じました。
今度は「パイの分け方を考えなきゃ」という風にも。
バブル崩壊に関しても、バブル崩壊後の混迷に関しても、私見がありますので回を改めて書きます。
55年体制の構図を説明しないと今の日本も見えてきません。
確かに開発独裁状況です。
でも日本は、民主主義国家です。
だから、一応選挙権があります。
国政に関しての、私の選挙権への認識はこうでした。
基本自民党や官僚の方や財界の方におまかせします。
日本を豊かにしてくださいと思っています。
独裁開発状況ですから当然ですよね。
でも時々社会党に入れていました。
こういうときは「自民党のみなさん、アレはちょっと違うと思うんですよ。だから今回僕は社会党にいれます。別に自民でいいんですよ。でもちょっと考えてほしいんです」ということです。
もっと具体的に言いましょう。
当時の自民党には派閥があって、自民党内の派閥が政党に準ずる役割をもっていました。
私の国政おける投票行動は、自民党内の派閥のダイナミズムに一定程度のインパクトを与えるという意味があると考えていて、そういう考えに基づいての投票行動だったのです。
くりかえしになりますが、この状況では自民党内の派閥は実質的は政党です。
だから私には政権政党を選ぶような選挙権がなかったのです。
ただ、たとえば私が自民に投票すれば、「今の派閥でいいです」という意味になりますし、
私が社会に投票した場合は、自民党内の派閥のダイナミズムに一定のインパクトを与えることが出来るので、ほかのみなさんもけっこう同じような投票行動をしていたりしますから(それなりの原因が当然あるからなのですよ)別の派閥が力を握るという構造です。
「一応選挙権があった」と書いたのはこういうことです。
私も長年ずっと自民党で良いというか、自民党におまかせしていればいいだと思っていました。
開発独裁になれきっていたのでしょう。
その状況は基本です。
そこで言論界がどう動いたか、あるいはどう動くべきなのを、ちょっと考えてみてくれませんか。
どう動いたとおもいますか、あるいはどう動くべきだと思いますか。
開発独裁は基本です。
そういう場合、しかも日本は民主主義国家です。
選挙権もあります。言論の自由もあります。
言論界はどうすれば良いのでしょうか。
これ以上ひっぱりませんが、自民党や財界官界と対立姿勢を取りました。
今からかんがても、あれはいいチョイスだったと思います。
だって開発独裁状況ですから、自民党や官界や財界が独裁していたわけですし。
マスコミや言論界まで、そこには入るはおかしいでしょ。
「持ちつ持たれつ」であるとか、正直もたれあっているとも感じてはいたのですが。
開発独裁状況だったらいいチョイスです。
もちろん政界にも野党はいます。
社会党が当時No.1でした野党の中では、ほかにもいろいろといました。
ただ開発独裁下の話ですから、今とは違うのです。
言論界も一部自民党よりのマスコミ、言論人は存在するのですが、こちらでは自民党よりのマスコミ、言論人はマイノリティです。
そうでしょ。
自民党、官界、財界に(一応ですが)向き合うカタチを選んだのですから。
だから自民党の政治家の方の考えが、よくわからないことがあるときに、言論界が自民党の政治家さんの発言を紹介するような時代背景ではないのです。
ただそうはいっても一応聞きたかったのです。
私は基本はおまかせしているんです。
だから「一応聞きたい」レベルです。
それをテレビでやっていたのが「あまから問答」で提供は総理府です。
総理府が提供している番組です。
そういう番組でしょ。
それをみて、なるほど、悪口じゃないです、開発独裁をしている側はこんなことを考えているんだということがわかったということです。
だから今池上彰さんが人気ですよね。
あれは開発独裁が終わったからです。
私も民主党政権が誕生するからもしれないという選挙には強力なプレッシャーを感じました。
「自分で政権を担う政党を選ぶんだ」という先進国なら当たり前の「投票行動」がすくなくとも私には初めてだったからです。
私のなかでの「一票の重さ」がありえないほど増したからです。
一言でいうと、もう「おまかせしていて良いとう時代が終わった」ということでした。
開発独裁が終わったということだったのでしょう。
「勉強しておかないと・・・」と思ったのクリアに思い出します。