私も含めて嫌いなひとがほとんどでしたが。
しかしテレビで一時代を築いた方です。
しかし梨本さんが亡くなっても、私はその頃にテレビを観なくなっていましたが、テレビでそれほど話題になっていませんでした。
これは芸能マスコミの方だったという事情があるかもしれませんが、奇妙なことです。
これは芸能マスコミの方に対する苦言でもあるのですが、著名な芸能リポーターのかたはみずからも矢をうたれるという前提がないのです。
具体的にいうと「女性芸能リポーターの誰それの男性遍歴」であるとか「男性芸能リポーターの下半身事情」という記事もリポートも存在しないという前提にたったリポートなのです。
もちろん私は無名ですが、悪口は言われたくありません。
もし名前が出るようなら「悪口」をいわれないような仕事をする場合もあるでしょう。
たとえばライターならある雑誌に連載を持てば、その雑誌から悪く書かれることは基本ないのです。
廃刊になったようですが、「噂の真相」から連載の依頼が来たら引き受けると思うのです。
「噂の真相」から悪く書かれたくないからです。
そういう事情なのかなと思うのですが、芸能リポーターで著名な方のスキャンダルを今まで一度も私はみたことがないのです。
これは硬派の新聞や雑誌でもあります。
前に朝日新聞の誤報が問題になりました。
あの件を、朝日新聞自身が検証する力はやはり薄かったようです。
あるいは別に朝日たたきをやっているわけではないのですが、「週刊朝日」が橋下徹さんに対して「人権侵害ですよね」ということをしています。
余計なことを書くのですが、テレビにはそうとうの局により報道の偏りがあってもかまいません。
チャンネルを変えればよいのですから。
しかし新聞にあまり偏りがあると困るのです。
今私は新聞を取っていません。
しかし新聞を取ろうと思うと、私は地方在住なので3誌は取らないとおかしいのです。
一誌は地方紙です。
一誌はリベラル系です。
最後の一誌は保守系です。
あるいは赤旗日曜版と日経電子版も読むかもしれません。
私はジャーナリストではないので、例えば佐藤優さんであるとか池上彰さんの解説で本来そうとう程度を済ませたいのですが、ある程度日々の動きを把握して、なおかつ一定程度ニュートラルであろうとすると新聞を3誌も4誌も5誌も読まざるを得ないのです。
これは悪口ではないので書いておきますが、聖教新聞は評判が悪いです。
かたよりとかそういう問題ではないです。
物の見方でもないです。
やっぱり聖教新聞の編集部にあまえがあると私には思えます。
相当数の創価学会の信者の方が日本にはいる、いますよね。
信教の自由が日本にはあるのだから悪いことでもなんでもありません。
ただ事実として学会の信者の方は聖教新聞を取るでしょ。
それが、「あまえ」につながっているとしか思えないのです。
それは学会批判であるとか、聖教新聞なんか取るなということではまったくありません。
信者の方も、なんらかの付き合いで取った方も同じ感想なのです。
「つまらない」です。
私も何回か読んでいます。
正直言って内容が薄いです。
あれだけの発行部数があるのですし、「新聞」なのですから、信者の方でさえつまらないと言いつつとっているものが信者ではない私に面白いはずがないのではありませんか。
「赤旗」は別に私は共産党支持ではないのですが、カンタンな話面白いのです。
しかし「聖教新聞」を読んで面白いといっているひとを私は一人も知りません。あれけの発行部数がある新聞であり、公明党が与党にはいっている現状で、(失礼な話ですが)あの内容の薄さはあってはならないことです。
聖教新聞がおもしろいのなら私もとります。
しかしあの内容では、とれません。
内容がやはり薄いとして言えません。
新聞なのですから、真剣に考えてほしいのです。
あるいは新聞業界として考えてください。
新聞業界の状況が、今は取っていませんが、新聞を購読しようと思うと複数誌を取らざるを得ないままであることを認めるとするならば、
複数紙をとっている客は上客のはずです。
友人にもそういうひとはいますが、新聞業界として、そういうひとに何らかの優遇措置を取ったという話を聞いたことがありません。
一番簡単なのは値引きです。
もちろんライバル同士ですが、朝日と読売の二誌を取ったら値引きするのが普通だと私は思うのです。
新聞業界という「視点」が欠如しているから、そういうアイディアが出てこないのでしょう。
新聞がなくなることはないと思います。
しかし新聞業界が沈んでいく可能性はあります。
パイの縮小です。
全体のパイが小さくなっていくなかでのシェア争いよりも、全体のパイをなんとか大きくする努力があってもいいという話をしています。
電子版もありがたいのですが、「新聞紙」という存在も、私にはありがたい場合もあります。
新聞紙の「かみ」がありがたい場合が多々あります。
私自身も私自身をよくする能力はそうとう薄いです。
組織であればなおのことでしょう。
新聞にしても、週刊誌にしても、組織ですから、みずから襟を正すのはそうとう困難です。
それはそんなものです。
どこの組織でも同じです。
ネゴシエイションはイヤなものです。
それもそうです。
朝日新聞や週刊朝日の問題を私は、ジャーナリストではありませんし、「組織」の問題としてとらえていました。
組織の何かを誰かが変えるというのがありないほどむずかしいものです。
それはそうです。
どこでも同じです。
右とか左とか、そういうことに私は興味がありません。
ただ組織はそういうものだということを思い知るだけです。
芸能リポータ-の方のスキャンダルが出ないことは本来、芸能ジャーナリズムを考える上ではおかしなことです。
ジャーナリズムなのですから。
ただ簡単な話です。
友達や顔見知りをたたくようなことはしづらいです。
そこはジャーナリズムはどこか本来的に抱えている問題なんだろうと思います。
取材対象をよく知ると、公表しづらい事柄が多数出てくると思うのです。
それは普通です。
だからといって、一回も著名な芸能リポーターのスキャンダルが出ない状況はやはりおかしですし、
「梨本勝特番」を作れないテレビ局にもやはり問題があると
指摘せざるをえません。