コンサバというのはコンサバティブの略で「保守的」だという意味です。
これは当然です。
ある期間を同じように過ごしてものがオジサンですから、それを変えるのはイヤです。
若い人は、それなりにやりたいものですから、大なり小なり変えたいものだと私は思います。
当然そこにはアツレキがうまれます。
どの時代にも大なり小なりあることです。
ある時に私が若い友人から手紙をもらいました。
その内容を読んで
「今の若いひとも、そういうことを考えているんだ」
と思ったのを覚えています。
その内容は一言でいうと
「大人はわかってくれない」
というものでした。
ただ私がちょっと違っていたので、考えが変わったと書いてありました。
私がちょっとおかしいんだと思うのですが。
たとえば彼は漫画ワンピースのファンでした。
私は年取ったオタクなので、彼のワンピースの話を普通に聞きます。
「いい年して漫画じゃないのに」とは思うのですが。
そのことじたいが彼には新鮮だったようなのです。
「オレ、ワンピースが好きでもいいんだ」と思ったのではないかと想像しているのですが。
当時彼は20代でしたし、別に20代の男性がワンピースが好きでも私はまったく構わないと今でも考えていますし、当時は疑問さえもたないで彼の話を聞いていたのですが。
私がオタク第一世代なので、自分がオタクだということには否定的です。
いい年をして漫画とか好きなのはダメだよねという認識をもっています。
だから「ウルトラマンシリーズ」を真顔で語る大人には違和感があります。
否定ではありません。
そこには「含羞」が必要なのではないですかと言いたくなるのです。
私は世代が違うのですが、「アンパンマン」を真顔で語る大人にも違和感があります。
これはたぶんオタク第一世代には共通する認識です。
オタク第一世代は「自分はダメだ」という認識とともに長年暮らしてきたのです。
アイドルが好きなひとは、50歳超えてアイドルが好きとかはダメでしょという認識はついて離れないのです。
もちろん、そうはいわないひとも多数いますし、「オレはそうじゃない」というひともいるでしょう。
しかし認識としては
「自分はダメだ」
というところがスタート地点だったはずなのです。
ほかのひとたちはアイドルとかアニメとかから卒業するのに、
「あれ、まだアニメとかオレ好きだし、これはダメなことでしかない」
という認識から逃れることができたオタク第一世代は一人もいなかったはずだと私は確信しています。
もちろん声高に「アニメが好きでなにが悪い」といったひといるのでしょうが、それは基本認識に
「自分はダメ」
という強い思いがあるがゆえの声高さだったはずなのです。
ニュートラルに「アニメとかいいよね」と言いえたひとはひとりもいないはずです。
であるとするならばオタク第一世代にとってのコンサバとは
アニメとかは語るのだが、それは「含羞」をともなっていなければならない
ということになります。
ですから
「オレ、ワンピースが好きでいいんだ」
と思う若者とは話があうのです。
彼には自分がワンピースが好きだということに関する葛藤があるからです。
そこが共通項だったのでしょう。
葛藤なしにオタクでいる方々とは異質なのでしょう。
今だにそんなものがあるんだと思ったのですが、「宇宙船」という雑誌を若いひとがみていて、昔の特撮とかに妙に詳しいのです。
その話に私はいくらでも乗れるのですが、話題に参加しませんでした。
イヤ、含羞があるからですよ。