「崖の上のポニョ」は宮崎駿監督の長編アニメーション映画です。
私は映画をみながら、
「これって夢みたいだ」
と思っていました。
これはまったくほめていません。
むしろ異常にけなしています。
つじつまがまったくあっていない映画だと思ったということです。
映画につじつまというとおかしいと思われる方もいるかもしれません。
でもたとえば笑いって振りがあってのオチですよね。
それをポニョに当てはめると、あの映画はオチしかありません。
振りは伏線なのです。
ポニョはなんの伏線もなく、あるエピソードが出てくる映画なのです。
私は「この映画はダメでしかないんだけれども・・・」と思いながら観ています。
あとになって押井守さんがポニョを評した一言を知り、本当にぴったりだと思いました。
押井さんは
「老人の妄想」
と評しているのです。
これが本当にぴったりなのです。
ポニョは老人の妄想でしかありえない映画です。
本当に「老人の妄想」という評価はぴったりくるのです。
これは悪口ではありません。
事実、あまりのわけのわからなさ加減が老人の妄想なんです。
ただ、そうは言っても宮崎駿監督です。
それでつらつら考えるに、「あれは宮崎駿が確信犯でダメでしかありえない映画にしおたに違いない」と思うようになりました。
もちろん私ごときがお目に書かれる方ではないにしても、確信犯だとしたら、
「イヤ、マジメに作りましたよ」とヘラヘラ笑われるに違いありません。
でも、私がどう考えても、ポニョはとことんダメです。
映像や音楽以前に脚本がまるでダメなのですが、あまりのダメさ加減が笑うくらいの出来です。
宮崎駿がそんなものをつくはずがないのです。
だとしたら、やはり確信犯なのではないのでしょうか。
わざとつじつまがまったくあわなくして、でもそれなりに変にまとまっているような映画を狙って作ったのではないかと私が思わざるをえないほどにダメなんです。
普通に映画を観ることが出来るひとがみたら100%ダメだといいます。
悪口ではなく、「老人の妄想」です。
「ポニョは老人の妄想として評しようがない映画」です。
それは私がいう「この映画って夢みたい」ということです。
「夢」ってわけがわからないものですよね。
「ここからここになぜ飛んだんだろう」とかわけがわからないものです。
宮崎駿が作りたかったものは、「夢」のようにつじつまがまったくあっていない映画だとか思えないのです。
そういう試みは昔「前衛」と言われるひとたちが山のようにしています。
実際ずっと寝ないで絵を描くような試みがあるのです。
今はあまりつかわれませんが、「シュールだ」という表現がありました。
「シュールレアリスム」のことなのですが、これは明々白々に訳がわからないので、
「これはわけがわからない」ということでみればよいのですねと了解できます。
しかしポニョは普通に観れば、「ダメな映画でしかない」のです。
シュールレアリスムも、もはや去り、私がいう「夢みたいな」、あるいは押井守がいう「老人の妄想」を映画にするという試みが宮崎駿の中にあったとすればたやすく了解できる映画なのです。
シュールレアリスムが一般化して、私のように
「これはわけがわからない」という共通了解に基づいて観ればよいのですね
という共通了解を宮崎駿が拒絶したと考えると妙につじつまがあうのがポニョなのです。
別の言い方をすればポニョは宮崎駿の確信犯だということになります。
宮崎駿はそのことは一言も言わずに死んでゆくつもりだと私はにらんでいます。
「あれ確信犯なんでしょ、宮崎駿」。