ジェンダー論まで女性学が進んでおり、男性学まで発生しているのに、ちょっとココはあまり一般的な理解がないなと私が考えている問題があります。
「身体」の問題です。
おそろしくデリケートな問題なので、言及も難しいのですが、私なり挑んでみます。
「性的身体」というべきなのかもしれません。
「性的身体」をもっているのは「女性だけ」です。
ただ、この件は私のような変わったオヤジか、センシティブな、一部の女性にしかわかっていません。
まったく違う女性が同じことをしているので、お二人にはわかっているようです。
詩人の伊藤 比呂美さんと元AKBの前田敦子さんです。
お二人ともフェミニンな外見を明確に避けています。
前田さんは今は女優ですし、前田さんの場合はケースバイケースなのでしょうが。
話を飛ばします。
男から見ると「非常に性的な番組」があります。
TBSの「王様のブランチ」です。
この番組の電気グルーブのピエール瀧さんが出演した時の発言があるのです。
瀧さんは「見ますよ」といいました。
いま私はテレビをまったく見なくなっているので、今はしりませんが、「王様のブランチ」は若くて、きれいな女性がたくさん出ています。
この件に関しては筒井康隆さんが「エディプスの恋人」で明確に記述しています。
エディプスの恋人の主人公の七瀬はひとの気持ちが読めます。
ここは微妙なのですが、ひとの気持ちが飛び込んでくるといったほうが良いのかもしれません。
設定上彼女は「男子高校生」に囲まれているのです。
筒井さんは当然男性ですから、男子高校生の気持ちがわかります。
非常に美しい女性の七瀬で、なおかつひとの気持ちが読める七瀬には
彼らが自分をどう見ているかがわかるのです。
彼らは勝手に七瀬の裸を想像していたりします。
女性にこういう経験はおそらくないはずです。
非常に卓越して視点の漫画で岡崎京子さんの仕事だと思うのですが、女子高生の感覚を鋭敏に描いた作品があります。
その女子高生は、非常に揺れ動いています。
リアリストでもありますし、同時に「夢を描く少女」でもあるのです。
彼女はかっこいい男子高校生のことを考えています。
「あんな素敵なひとに彼女がいないのはBLのひとかもしれない」
とも思うのです。
そこはファンタジーの世界の住人です。
でも同時にリアリストでもあるのです。
彼と海に言って、彼女はガッカリします。
彼がセンスの悪い水着を着ているからなのですが、それだけありません。
たとえばすね毛も何かイヤです。
女性は体毛をとても嫌います。
女が男をこう見ていると意味では岡崎さんの仕事がとても重要になります。
普通に考えてみてくささい、もしあなたが男性だとしたら、あなたの裸を誰か想像しているなど考えるうるでしょうか。
想定外なはずです。
私も当然そうです。
そういう意味において男性は身体を持っていません。
女性誌に「モテ服」、「モテメイク」という見出しがひところありました。
そういう発想そのものに「自分はみられる存在だ」という認識が存在するのです。
若い男性が妙にカッコつけるのが煩わしいとひともいると思います。
あれは「身体」というより「ふるまい」の問題です。
動物の求愛行動に近いものだと私は考えています。
大きな羽を広げる鳥や、いい鳴き声を競う動物の行動に近いはずです。
彼らにとって重要なのは「身体」よりも「ふるまい」ですし、その「ふるまい」をするための服であり、髪型です。
あるいは示威行動のようなものでもあります。
簡単な話「自分を大きく見せたい」と思えば「自分が多きる見えるような恰好」をします。
あるいは「自分は攻撃的です」というアピールも存在するでしょう。
中心にあるのは「女性の身体」なのです。
この視点は内田樹先生の本からの引用なのですが、「人類という種」という考え方があります。
これは「会社」のような組織であっても同じことなのですが、「人類という種」やいろいろな組織にとって一番重要なことはなんでしょうか。
ここは企業人にとっても重要なポイントです。
「存続」です。
意外に思われるかもしれませんが、(今はどういうポジションなのかよくしりませんが)ジブリの鈴木敏夫さんは元徳間書店の編集者です。
アニメージュというアニメ雑誌の編集長を務めるときに鈴木さんは考えたそうなのです。
何故か編集長が「三年しかもたない」ので、これをなんとかしようと。
結果発行部数を減らしました。
編集長としてダメじゃないかという考えもあると思います。
しかしアニメージュは生き残り、編集部も編集長も無事です。
企業が陥りやすいワナに「収益」を増やしたいという「発想」があります。
当然のことをなぜ問題にするという方もいると思うのですが、これはワナです。
普通に考えてください。
収益を増やすためにはプロジェクトを大きくする必要があります。
あるいはプロジェクトの回数を増やす必要があるのです。
プロジェクトを大きくするためには、それだけのコストがかかります。
そのコストを回収しよと思うと大変な努力が必要なのです。
プロジェクト、例えば月刊雑誌を、週刊にすると考えてください。
プロジェクトの回数を増やすとは、そういうことです。
私に企業が収益を増やす方法は以上の二つ以外には基本ないと思えます。
個人であれば話が違うのですが。
組織は自己増殖したいというモノだと考えたほうが良いでしょう。
それは見過ごしてはならないワナです。
組織が大きくなれば利潤は増えます。
しかし組織の構成員も当然増えます。
結果ひとりあたりの利潤はたいして変わらないものなのです。
今はアライアンス(同盟)というカタチが非常に効果的です。
小さいだけでは大きなところには勝てないのですが、大きなところはたいてい行き詰まっているからです。
「小さいところ」が「小さいまま」で「同盟」を組むのがアライアンスで、これは非常に重要な組織の在り方を示唆しています。
重要なので、もう一度書きます。
「組織は自己増殖したいもの」なのです。
余計なことを書いてしまいましたが、「人類という種」にとっても一番重要なのは「存在」、「生き残り」です。
「繁栄」は「存続」しているからこそありうる事柄です。
余計な話ばかりを書くのですが、男が夢想する世界に「大奥」のような世界があります。
ただ、この「大奥」のような世界はあくまでの男の夢物語として発生したのではありません。
厳密な合理性に基づいているのです。
(これはあくまでも可能性の問題として記述します)
男が複数の女性と性行為をした場合と、女性が複数の女性と性行為をした場合に子供が生まれる可能性が多きくなるのはどちらでしょうか。
男が複数の女性と性行為をした場合です。
女性が複数の男性と性行為をしても、父親が誰かはよくわからなくなりますが、出産の可能性はたいしてあがりません。
「人類という種」という観点でみた場合に「子孫を残すこと」の優先順位は極めて高いのです。
(ついで書いておくのですが、私は結婚もしていませんし、子供もいませんから、そういう意味では人類という種の優先順位が極めて高い問題には貢献していません)
そういう観点でみた場合、世の中の「表」と「裏」が反転します。
「政治」や「会社」や「経済」が優先順位が低い問題だということにしかなりません。
軽んじられている、「家事」や「育児」のほうがはるかに上記の問題よりも重要なのです。
私が「女性の身体が中心にある」と格のはフェミニズムへのお追従ではなく、「人類という種」という観点に基づいているものだということがわかっていただければよいのです。
男が理屈っぽいのは「身体」をもっていないからだと私は考えています。
今多くの識者が「身体」を重要視しているのも偶然ではありえません。
今「概念(concept)」や「主義(ideology)」の力が弱いのも偶然ではありません。
身体の問題がこういう風に表れるのだと思ったことがあります。
ある著名な方がLGBTだったらしいんのです。
当時雑誌がたくさんあった時代である男子大学生がその方に誘われたと憤慨していました。
何故さそわれたくらいで彼は憤慨したのでしょうか。
「そういう目で見られたから」です。
彼は「自分は性的な身体などもっていないのに、あなたは僕に性的な身体がありますという目でみましたね」ということで彼は憤慨していたのです。
やっと七瀬の話に戻ってきました。
本当に自分が、ひとのなかで裸にされたりしている状況があるとしたら、それは好ましいものでしょうか。
私にはそうは思えないのですが。
伊藤さんや前田さんは「そういう視線から逃れる」方法として、フェミニンな身なりから避けているのだと私が考えていて、お二人ともに非常にセンシティブな方なのだろうと想像しています。
男にとって「王様のブランチ」が性的だというのも、そういう理由によるものです。
この文章に結論はありません。
そんなにたやすく結論などでないことをわかっていただきたいと思います。
「結論はそんなに簡単にでない」ということだけを指摘して、この文章を終えます。